先週は心ならずも、このコラムをコケボウに乗っ取られてしまった。自分に都合のいい御託を並べ立て、将来、社長の座を窺う野心もちらちら見える。まさにコケボウ恐るべし。

ところで私事で申し訳ないが、僕の妻が先週、死去した(ウソや冗談ではない)。僕にとってはでき過ぎた妻であり、子供たちにとっては立派な母親だった。初七日が過ぎた今も信じられない思いだ。

妻の後半の人生は病との闘いだった。20数年前、次第に手足が動かなくなるパーキンソン病にかかった。いまだに治療法が見つからない難病だ。最初は手の震えだけだったが、次第に歩けなくなってきた。そして2年1ヶ月前、胃がんが見つかった。検査結果では最も悪質ながん細胞で、すでに手術もできない状態。医師からは「余命は3ヶ月、長くて4ヶ月でしょう」と宣告され、妻も半年の命と告げられた。

しかし、それでめげるような妻ではなかった。「何としても治ってみせる」と、闘病生活を続けた。「奇跡」は起こった。3ヶ月過ぎても、1年過ぎても、表向きはなんにも起こらなかった。それどころか病変部は縮小していった。僕自身も完治するとは思えなかったが、この調子なら、頑張れると思っていた。昨年暮れ、少し悪化しつつあるということで、最新の化学治療を受けた。結果的には、これが裏目に出た。今年1月、医師からは「もう治療方法はない。いつ亡くなられても不思議ではない」と再び、宣告された。

それでも妻も僕も諦めなかった。妻はリハビリに励み、調子がいいときには車椅子で病院周辺を散歩した。サクラが咲き、新緑になっても散歩を続けた。病室は明るかった。いつも笑いが絶えなかった。孫が来ると妻はベッドに座りさえした。痛みを訴えることはほとんどなかった。最後は眠るように、息を引き取った。

妻は多芸多才だった。料理を習い、アートフラワーと茶道では免状ももらった。紙粘土で人形を作り、ポーチなどの小物も手がけた。テニスやピアノにも手を出した。水彩画にものめり込み、ベッドでも絵筆を離さなかった。妻の趣味は自分が楽しむだけではなかった。できた作品を皆に分け、皆が喜ぶ顔を見て嬉しがった。人の喜びは自分の喜びという性格だった。もちろん友人も多く、家の中はいつも誰かが遊びに来ていた。

旅行にもよく行った。北海道から沖縄まで数県を除いて、観光地や温泉をほとんど回った。家族連れや友人たち、僕と二人ということも結構、多かった。杖をつき、車椅子が必要になっても、音楽会、展覧会、デパートとよく出歩いた。ディズニーランドには30回以上行ったと思う。妻の生活ぶりを見ていると、精神的には闘病生活に勝ち続けたといえるだろう。

妻は60歳だった。まだまだこれからという人生だった。しかし、妻は普通の主婦の2人分から3人分の人生を生きてきた。そう思って、自分を慰めている。妻の死で僕の人生もほぼ終わったようにすら思える。ただそれでは妻は怒るだろう。早く立ち直ることが妻の供養にもなると思う。

これからも、くだらないことを面白おかしく書き続けることにする。

コケボウのひとこと

やはり、かなりお寂しそうです。
社長室の前のオープンスペースで、手すりにもたれてタバコを吸っている社長をみつけました。
夕刻の二本木は、なんとなく哀愁ある町だと思います。
社長の目には、眼下に広がる景色がどう映っていたのかわからないけど、背中が他を拒絶しているようにも見えて、声をかけるのを遠慮しました。
まさか、飛び降りたりはしないでしょう。
でも立ち去りがたく、しばらくその場にとどまりました。
似たような風景を見たことがある・・・思い出したのは、16年前母が逝った時に病室から外を見ていた父の後姿でした。
今は普通に笑ってます。
時間というものは、別れまでの期日を決められると残酷なものだと感じます。
しかしつらい思いを癒してくれるのもまた、時間なのかもしれません。

はじめてお会いした奥様は、穏やかで美しいお顔をされていました。
「社長がお寂しくないように私たちがついてますから」
と申し上げました。
奥様は微笑まれたようにみえました。
同じ事を社長に申しました。
「私たちがついてますから!」
「遠慮する!遠慮する!冗談じゃない!」
なんで???私たち別に何もたくらんでませんってば。