「ふるさと」という言葉には、常に感傷的な感情が付きまとう。昔日のはかなくも切ない思い出が伴うからだ。「ふるさと」の歌は多いが、有名なのは室生犀星「ふるさとは遠きにありて思ふもの」という一節。その後には「そして悲しくうたうもの」と続くが、こちらは覚えている人は少ないようだ。犀星は金沢の生まれで、複雑な家庭環境から幼児にして養子に出され、貧乏ゆえに12歳から働き始める。やはり思い出も「かなしくうたう」しかないのだろう。

同じ貧乏で、薄幸の天才詩人の石川啄木にも「ふるさと」の歌は多いが、こちらは望郷の念がぎっしり詰まっている。「ふるさとの山に向ひて言うことなし ふるさとの山はありがたきかな」とか「ふるさとの訛なつかし 停車場の人ごみの中にそを聴きに行く」とかだが、ひたすら「ふるさと」が懐かしいという感じが伝わってくる。

さて、KABで「ふるさと」といえば、言うまでもなく「ふるさとCM大賞」だ。こちらは今現在、「ふるさと」で育ち、生活している人たちの作品だから、感傷とは程遠い。逆に「ふるさと」を謳歌し、何とか他所の人たちに売り込もうと元気一杯なのだ。今年は昨年より若干、増えて51作品の応募があった。僕も審査に立ち会ったが、力作ぞろいで、選考は大変だった。

今年で5回目になる。審査委員長の山本晋也監督は「年々、作品のレベルが上がっている」という。以前は単に果物や野菜などの名産品を集めたり、名所や景色のいい場所を写すだけの作品が多かったが、ひとひねりしたり、ユーモアを盛り込んだりと多彩になってきた。内容もそうだが、技術的にもアップしているそうだ。中には「監督の僕にさえ撮るのが難しい映像もある」というほど出来映えのいい作品もある。もちろん、巧拙はあるが、どの作品からも住んでいる「ふるさと」への愛情熱情がひしひしと感じられる。

金賞だけ紹介すると、行政の部では阿蘇市の「阿蘇に恋。来い」一般の部では天草市の入部一代さんの「はじまりは、海」学校の部では天草市立下浦第1小学校4年環境にやさしいまちグループの「環境に優しいまち 下浦」が選ばれた。入賞作品は金、銀、銅それぞれ50本から20本までKABで放映する。また審査会、表彰式の模様は3月22日の正午から約1時間、放映する。ぜひご覧になっていただきたい。

ところで、若者はいつまで「ふるさと」に留まるのだろうか。阿蘇郡南小国町の南小国中の生徒にインタビューしたら、ほとんど全員が進学などでいったん「ふるさと」を離れるが、最後には帰郷すると答えた。やはり熊本の若者たちは健全なのだ。いまや山間部などの集落では人口が減少し、限界集落も増えているそうだが、いったんは離郷しても、いずれは帰ってくる「ふるさと」を残しておきたい。それは私たちの責任でもある。

犀星や啄木のうたったような「ふるさと」もいいが、「かなしいうた」であったり、単になつかしがるだけというのでは寂しすぎる。やはり「ふるさと」は、いつでも帰れる場所であってほしい。

僕は熊本が「ふるさと」でよかった、とつくづく思う。

コケボウのひとこと

「ふるさと」かぁ。
幸か不幸か、生まれ育った土地を離れた経験がないので、私にはいまひとつピンとこない言葉の一つです。
やはりそれは、遠くにいてこそ意識するものなのでしょうね。
街のいたるところから、勇壮な熊本城を眺めることが出来る幸せ、水道水をおいしく飲める幸せ、豊かな自然に囲まれている幸せ・・・
客観的に考えると、熊本ってとてもいいところだなぁ、とも思いますが、日ごろは改めて「ふるさと熊本」について考えることはありません。
ふるさとCM大賞を、自分が住んでいる町の素晴らしさを見直すきっかけにしていただけたらいいなと思います。
私がふるさとCM大賞に応募するとしたら・・・
何をモチーフにするだろう?
仕事ではいろんなCMを作ってきたけど、難しいなぁ。