前回のコラムで社内の酒飲みの話を書いたら、お前はどうなんだという質問を受けた。の場合、若いころは酒豪とまではいかないが、相当な酒飲みであったことは事実だ。しかし、いまは「酒貧」というところか。

学生時代は、飲めるものなら何でもよかった。持っている小遣いは、ほとんどサケに消えた。電車代もなくなり、歩いて帰る途中、草臥れて野宿したこともたびたびあった。僕は学業の暇を盗んで、昼間は土木作業員や倉庫の運搬人などの肉体労働を、夜は家庭教師をしていた。最初のうちは生活費を稼ぐという名目だったが、あとでは呑み代を稼ぐほうに代わっていった。

新聞社に就職してからは、さらに呑む機会が増えた。初任地の秋田支局では、2年ぶりに新人が来たというので、諸先輩から毎晩、交代で飲み屋街に拉致された。夜中の1時か2時まで呑み、翌朝は7時から警察署周りという生活だった。週に1回は支局で飲み会があった。ヤカンに一升の日本酒を入れ、ストーブでお燗にして、茶碗でぐい飲みする。一升瓶4本5本になった。

どういうわけか新聞記者には酒飲みが多かった。それも中途半端ではない。呑みだすと、途中で止まらない。しかも最後は取っ組み合いの喧嘩になることもザラだった。どこの職場にも酒乱が2,3人はいた。毎晩、2時か3時になると、グデングデンに酔っ払って、編集局に現れ、見境なく喧嘩を吹っかける名物記者がいた。みんなはバッカス(酒の神)と呼んで恐れていた。

タクシーの運転手の首を絞め、逮捕されたのもいる。警察署長の家に夜回りに行って、署長と喧嘩になり、署長をぶん殴った豪傑もいた。当時はどういうわけか、世の中が酔っ払いに寛容だった。新聞記者の酔っ払いや酒乱は、一晩、留置所に泊められて、翌朝は説教を受けて釈放された。

しかし、そういう風潮も、時代の流れのなかで消え去っていった。「サケの上でのことで」という言い訳はたちまち通用しなくなった。場合によっては刑事事件になり、会社からも懲罰処分をうけるようになった。まあ、正常化したということだろう。

そういう昔の先輩たちを見ながら、僕は社会人として育った。だから、僕自身は節度を守る酒飲みとなった。いくつか鉄則も守っている。第1に、自棄酒は絶対に呑まない。サケは楽しいときにこそ呑むものである。第2に上体がふらつきだしたら、呑むのを止める。あの二日酔いの苦しさを思い出すと、不思議と呑む気がなくなってくる。第3につまみなどは早めに腹いっぱいになるくらい食べる。要は満腹でサケが入らない状態にすることだ。

かくして僕は「酒貧」に堕落した。本来は日本酒が好きだが、翌日に残ることが多いので、控えるようになった。焼酎は水で4倍ぐらい(時には3倍ぐらいか)に薄める。ワインを呑むチャンスがある時は、赤ワインが血液サラサラにする薬なので、一本は無理して呑むことにしている。すべて健康第一のサケ呑みなのだ。

ああ、今夜もネオンが僕を呼んでいる。

コケボウのひとこと

なんだかんだ言ったところで「ボクは酒飲みです」って話ですよね。
何度か社長とお酒の席でご一緒したことがありますが、社長のお酒は「愉快なお酒」であることは確か。
酒乱ではなさそう。
多少の暴言や失言はあるものの、それはお酒が入っていない時の方がかえってひどいくらいです。
言われるほうも免疫がついているので、社長の暴言くらいじゃ誰も気にも留めませんけどね。
しかし社長もタレント(?)「TVで多少お顔が売れております。お行儀よくしておいてくださいよ」ということ。
「KABの社長が飲んでいた」と言われるのは事実だから仕方がないとして「KABの社長が飲んでクダ巻いてた」なんて言われたら、KABのイメージも一気に失墜です。
気をつけていただかないと。
いつもご一緒すると「酒も飲めないつまらんヤツ」と叱責されますが、そろそろ桜も咲くことだし、またお花見でもいかがですか?
もちろんデビルちゃんも一緒に♪