このところオリンピック観戦で、疲れが溜まってきた。ルールも良く分からない競技も多い。それでも日本人がメダルをとる可能性が少しでもあるとなると、つい身を乗り出して応援してしまう。勝てばいいが、負けている場面を見ると、ストレスが溜まってくる。ハラハラドキドキの連続に、ついチャンネルを変えることも。得手勝手なファンなのだ。

長時間、テレビを見詰めていて、いくつか気が付いたことがある。ひとつは男女に関わらず、メダルを取った選手がたちまち美男美女に化けることだ。競技中はそんなに感じない。むしろ緊張で、顔面が引きつり、時として目を背けたくなることも。ところが勝利の瞬間に、ガラリと変わる。緊張も解け、喜びの表情が一挙にはじける。同時に、「えっ、こんなに美人(ないしはいい男)だったっけ」と思ってしまう。

時々、飲み屋街ハッとするような美人に出会うことがある。しかし、大抵は瞼をタヌキみたいに塗りたくり、厚化粧で原型を留めず、化け抜いている女性にすぎない。それに較べると、メダルの女性たちは内面からの美しさが滲みでているのだ。これからは見かけの美しさに惑わされて、飲み屋に通うことは辞めよう。コケボウウツツを抜かしているイケメンの大半も、空虚なちょっと格好いい男に過ぎない。あれっ、変な話に脱線してしまった。

ボクはこれまで特別な愛国心を持っていたわけではない。ところが対外試合ともなると、どこからか愛国心が湧き出てくる。オリンピックともなると、また格別だ。自分が生まれ、育った国に対して愛情を持つのは、自然の発露だ。政治の世界でも愛国心とか愛国教育とかが取りざたされるが、そこでいう愛国心とは、何かの目的のために作り上げられたもので、自然の発露とは全く違う。愛国心とは教育で身に付けるものではない。そのことにも気が付かされた。

選手たちはオリンピックを目指して、長い間、全身全霊をかけて肉体や精神を鍛え上げてきた。汗と涙をかけて鍛えた肉体で競技に臨む。できればみんなにメダルを上げたい。しかし競技に優勝劣敗は付き物だ。どんなに実力伯仲していても、序列が付けられていく。その差は何処でつくのか。ほんのちょっとした失点大差に繋がることもある。仮に実力が上でもありうることだ。何となく人生のあり方とダブって見えることもある。あるいは運命の差とも言うべきか。

競技が進むに連れて、次々と世界新記録が更新されていく。常に驚きの連続だ。超人の世界のことで、われわれ凡人には計り知れない。それでも人間の肉体の限界が広がっていくことを実感する。それに較べると世界経済、国際政治の停滞振りはなんだろう。地域紛争は後を絶たず、地球温暖化の防止に見通しはない。対策旧態依然どころか、後退に後退を重ねているような気がする。スポーツの世界は別という見方もあるが、同じ人間の営みではないか。4年に1度のオリンピックは、さまざまなことを学ばせてもらう好機でもある。

今回はお盆休みボケでとりとめもないことを書いてしまった。まあ、読む方もお盆休みボケだろうから、これでいいか。

コケボウのひとこと

お盆休みでボケたかったのに、お盆休みもとれず働いております。
北京オリンピック・・・開催前はスタジアムの建設が間に合わないとか、大気の汚染がどうとかってマイナスイメージの話だけが先行していた気がしますが、始まってみると心配されていた問題はほぼ解決されているようで、その盛り上がりに何の遜色もありませんね。
なかなかテレビの前に座って観戦する機会に恵まれないのですが、ニュースなどで繰り返し流されるメダル獲得の瞬間の映像を見るたびに、なんだか目頭が熱くなるのはなぜでしょうか。
卓球の愛ちゃんこと福原愛選手の幼い頃からを振り返ったVTRを、先日スーパーモーニングで放送していました。
卓球台よりも小さい愛ちゃんが、泣きながら懸命にボールに食いついていく姿に、その時は「かわいい子~」と見ただけでしたが、成長してオリンピックという大舞台に立った姿を見ると、ここに立つまでにどんな事を犠牲にして努力をしてきたんだろうと、ついついその背景に想いが及んでしまいます。
遊びたい時もあったでしょうし、サボりたい時もあったでしょう。
そんな誘惑を全て振り払って、一つのことを極めてきた姿はやはり人々を感動させるに十分で、この心がカサカサのワタシの目頭まで熱くするのですから、社長が美しいと思うのも素直に頷けます。
今更アスリートにはなれないけど、もしかしたら何か一つ極めることが出来やしないか・・・とオリンピック見ながら怠惰な自分を反省しつつ「ムチ揮い」でも極めるかと思案するあくまで美しくなれないワタクシです。