最近、相次いで二人の旧知の人と会った。いずれも10数年ぶりの再会だった。ひと昔もふた昔も前のことであり、定かな記憶も乏しい。ところが二人とも古希(70歳)前後にも関わらず、ボクのことをよく覚えていてくれた。ボクは改めて自分の記憶のネジがガタガタに緩んでいることに気づかされた。

一人は元文化庁長官で、その後、日本音楽著作権協会(JASRAC)理事長を務めた。吉田茂という名前で、忘れようとしてもできない人だ。前の会社で、イベントや展覧会などを担当する部署にいたころ、すごくお世話になった。朝日新聞のファンで、いろいろ助けてもらったものだ。

ある日、東京にいる知人が吉田さんに会ったところ、偶然、ボクの話になったそうだ。そこで、一度、飲みたいということで、連絡があった。たまたま東京出張の機会があったこともあり、早速、再会した。昔の面影のままで、懐かしかった。当然、当時の思い出話になった。吉田さんは「いやあ、あのときはああで、こうで」と鮮明に覚えておられる。ところがボクの方は、さっぱり。話しているうちに、段々、思い出してきた。要するに、ボク無理難題を文化庁長官に持ち込んでは、吉田さんを困らせたらしいのだ。

そう言われれば、そうだった。記憶が戻るにつれて、恥ずかしさで、がにじみ出てきた。当時はボクも若かったのだなあ。もっとも吉田さんも必ずしも嫌なことばかりではなかったらしい。サケも美味く、再会を約して別れた。

もう一人は、日本のふるさとの原風景を描き続けている、画家原田泰治さんだ。素朴なタッチで、見る人の心を感動させる。最初に会ったのは、17,8年前。ボクが浦和支局長をしていた頃、原田さんの展覧会が浦和で開かれた。その際、飲み食いして、大騒ぎしたことがある。その後も、数回、お会いした。

今回、熊本で展覧会をという話が持ち上がり、打ち合わせに原田さんが来熊された。最初の出会いははっきり覚えているが、その後の出会いの記憶はあいまいだ。ところが、原田さんは、最初の挨拶がすむなり「最後にお会いしたのは、○年○月○日、渋谷のホテルだったですね」と切り出された。ボクは仰天した。ボクの記憶は空白なのに、原田さんは日時、場所まで覚えておられたのだ。この差はなんなのだ。ボクはショックに打ちのめされた。

もっとも、この話にはネタ仕掛けもあった。夜、原田さんと一杯、飲みながら食事した。サケがほどよく回った頃、原田さんが自白した。誰かに会ったら、秘書がパソコンに名前、場所、日時などを入力する。次回、会う時に検索するだけでいいのだ。相手は、大抵、感動して、難しい話もスムースに進むとか。なるほど、頭は使いようだ。記憶のネジが錆びついていても、これなら大丈夫だ。

そこでハタと気がついた。年賀状の整理でさえ、1年かかる。会った人の記録を入力するのはとても無理だ。昨日、会った人の記憶すら、おぼろげだ。数日たったら、入力できるはずがない。何かいい知恵があったら、教えてほしい。

「半死半生」だ。いまや憐れを受ける存在なのだ。そう考えると、この詩はひょっとしたらボクのことを詠ったのかもしれないと思うようになってきた。

コケボウのひとこと

記憶のネジがガタガタ・・・なるほど。
確かに思い当たる節はいくらでもありますねぇ。(笑)
しかし、絶対にお忘れにならないのが「締め切り」。
以前のコラムで社長からもありましたが、締切日になると体がムズムズするそうです。
新聞記者時代の名残かと思われます。
体が覚えたことは忘れない、ということのようですね。
最近ウチの社長は熊本で、一番メンが割れている社長になりつつあり、面識のない方々から声をかけられることも多いようです。
旧知の方々との会話を長い時間思い出せないでいる社長ですから、ほろ酔い千鳥足の時に視聴者のみなさんから声をかけられてもうまく対応できてないだろうなぁ、と余計な心配をしております。
視聴者のみなさん、社長が例えば「ふん」という顔をしたとしても気にしないでくださいね。
さて対策・・・原田さんの秘書の方は全てを入力されているそうですが、秘書も追いつけないほど自由に(?)動き回るウチの社長にはちょっと難しい。
ここはアタマを鍛えていただくしかないなぁ。
やっぱムチも必要かなぁ。