いつも身内や草花の話ばかりではつまらない。もっと政治や社会問題も取り上げて欲しいという声がある。コケボウは不満だろうが、今回は少々、堅い話にしよう。

昨今ほど「言葉」が軽く扱われる時代は、これまでなかったのではないか。最近の政治の状況を見ていると、しみじみそう感じる。麻生首相の漢字の誤読はいわずもがな、定額給付金をめぐる「さもしい」発言、猫の目のようにクルクル変わる国会答弁など、枚挙にいとまがない。「言葉」の重みなど感じていないと、勘違いされても仕方あるまい。

西松建設の巨額献金事件での漆間官房副長官の国会での発言にも驚かされた。自民党議員に波及するかどうかは、オフレコ懇談での最大の関心事だったはずだ。なのに「記憶がない」との一点張り。これで常識的に通用するものなのか。この手の事件では、政治家の常用句だが、今回は10数人の記者団との懇談だ。記者団はほぼ同じように「波及しない」と言及したと受け止めている。それなのに副長官と秘書は「記憶にない」。副長官といえば官僚のトップだ。なんともいやはやというしかない。

「倫言、汗の如し」という孔子の言葉がある。君主が一度、口にした言葉は、出た汗と同じで、二度と引っ込めることはできないという意味だ。君主でなくても「言葉」がいかに大事かということだ。首相や官僚のトップたるものにとっても同じだ。それが発言をクルクル変えたり、常識的に通用しない言い訳では、その座に座る資格があると言えるだろうか。

かって大平元首相は発言するたびに「アー、ウー」を繰り返し、「アーウー宰相」とからかわれた。しかし、発言のメモは、一字一句変えることなく、そのまま原稿として使えた。「アー、ウー」と言う口癖は、言葉を選び、推敲し、考え抜く時間だったのだろう。それだけ「言葉」に神経を尖らせていたのだ。

政治家の「言葉」が軽くなったのは、何時のころか。竹下元首相は、懇談でも記者会見でも国会答弁でも、ペラペラとよく喋った。ところが、いくらメモを読み返しても、いったい何を言いたいのか、結論は何なのかがさっぱり分らない。原稿にするのに四苦八苦させられた。というわけで竹下元首相の「言葉」は「言語明瞭、意味不明」と言われたものだ。やはり「言葉」が軽かったのだ。

旧約聖書の中に、バベルの塔の 話がある。ノアの子孫のバビロニアの王様が自分の権力を天下に誇示しようと、天にも届くような高い塔を作り始めた。この様子を見た神が、人間のおごりに怒 り、人々の言葉を混乱させた。それまではひとつの言語、言葉だったが、意思の疎通が欠け、バベルの塔の建設ができなくなった。この話の解釈はいろいろある だろうが、「言葉」の持つ重みと、重要さを表しているようにも思える

翻って、日本の政治家たちの「言葉」の軽い現状を考えると、単に政治不信というよりも、国民との意思の疎通もできなくなるのではないか。バベルの塔のごとく政治も経済も崩壊していくのではないか。こんな心配をするのは、おそらくボクだけではあるまい。コケボウ、どう思う。えっ、全く関心ないだって。ああ、救い難い。

コケボウのひとこと

政治家の漢字の読み間違えが珍しくなくなった、というのは憂えることですが、最近は「またか」と思うだけで特に思うこともありません。
大学入試に出題されるかどうかはわかりませんが、今年の受験生の中で「未曾有」を読めない人はいないかもしれませんね。
読み間違えは100歩譲れるとしても「言葉の重み」これがないことのほうが問題のような気がします。
投げ出す人が続出する“総理の座”・・・言葉はおろか総理大臣という職務自体の重みがなくなったのはいつの頃からでしょうか。
だからって職に執着する麻生さんがいい、という話では全くありませんが。
政治家の世界でなくとも、言葉はコミュニケーションの大事なツール。
会社の中にいても本当に大切だと思います。
きちんとしゃべらないと、真意は伝わりません。
KABは先週の視聴率で、四冠を達成しました。
そこで社長から「すぐに四冠をPRするCMを流しなさい」という指示が。
なんせ「すぐ」と言い出したら1秒も待てない社長の命令。
なんとかするしかないけどアナウンサーは取材で多忙、ケービィーもすぐには出動できず・・・。
仕方がないので社長に登場いただくことに。
詳細は割愛しますが、ラストカットで社長がアタマを下げたのはいいのだけれど、若干トップが涼しい。
「社長、髪の毛が少々薄く見えます」と申し上げましたら「禿げてるというのか!?」と叱られてしまいました。
だって・・・県民のみなさんに少ないのがばれたらイヤなんじゃ?
思いやりだったのにぃ。
それを局長に話したら「キミ、もっと他に言い方あっただろう」って再び叱られた。
あ〜〜言葉って本当に難しい。