長い人生(?)のうちには、時として思いもかけない出会いや再会があるものだ。

先日、埼玉県・東松山市に行った。東松山市といえばウォーキングの日本スリーデーマーチで有名なところ。そのスリーデーマーチの実行委員長を長年務められた元東松山教育長の田口弘さん朝日スポーツ賞を受けられたので、祝賀会が開かれたのだ。ボクは埼玉県の支局長時代から個人的にもお世話になっており、発起人を頼まれたこともあり、はるばる出かけたわけだ。

今年の朝日スポーツ賞の受賞者は、田口さんのほかに、大リーグのイチロー選手テニスの杉山愛さん体操の内村航平選手が選ばれた。スリーデーマーチは発足時は5000人ぐらいの参加者だったが、いまや10万人を超えるようになった。これも田口さんがいたからだ。まもなく米寿を迎えられる。60代で脳梗塞、70代で狭心症、一昨年には大腸がんと闘われた。それでもいまだに「休肝日はない」といわれるほど、元気矍鑠(かくしゃく)としておられる。

ボクが田口さんに再会したのは、10数年ぶりだった。しかし、思いがけない再会というのは田口さんのことではない。パーティーの最中に、話しかけてきた男性がいた。「昔、厚生省でお目にかかりました」という。そういえばボクは若いころ、政治部で厚生省の担当記者だった。名刺には「日本環境衛生センター理事長、奥村明雄」とあった。かつて厚生省時代、広報を担当していて、その時にボクに会ったそうだ。ほとんど30年以上前の話だ。その後、環境庁自然保護局長などを勤めたそうだ。多分、ボクの名前が珍しかったので覚えておられたのだろう。

実は、ボクは厚生省担当時代、週刊誌ダネになったことがある。断わっておくが女性問題や不祥事ではない。当時、日本医師会と厚生省とは対立関係にあった。医療費の引き上げを巡って、日本医師会が打ち出した戦術が医薬分業だった。そのころは極めて珍しい戦術だった。医療現場での大混乱も予想され、ボクはこれを特ダネとして1面に書いた

これに週刊誌が飛びついた。見出しは「厚生省の笑い者」だった。なんでも「九州から来たポット出の新米記者が医師会の会長に騙された。彼は今や厚生省内での笑い者である」という内容で、実名入りで3ページか4ページにわたって書きたてた。事実誤認も甚だしく、当然、ボクがいた新聞社は週刊誌の広告を差し止め、出版社と争う事態になった。別の週刊誌も、ボクのことを実名入りで書いた。ただしこちらはボクのことを「新米記者」とは書かず、「九州で実績を積んだエース記者」として弁護してくれた。出版社との争いは上層部で話し合いがついたらしいが、どうなったかは覚えていない。

奥村さんも、当時のことが意識の底にあり、名前を記憶されていたのかもしれない。それにしても東松山で30数年前の人と再会するとは・・・。ついつい、若かりし頃を思い出し、懐かしかった。ちなみに医薬分業戦術はそれなりに成果をあげた。いまや医薬分業は当然のこととして医療現場に定着している。つまりはボクが正かったのだ。なんていうのは自慢になるので、言わないでおこう。

コケボウのひとこと

こんな話を聞くと「新聞記者だったんだなぁ」って思います。
今ではすっかり定着した「医薬分業」もここに至るまでには、いろんな紆余曲折があったのでしょう。
積極的に医薬分業を推進している厚生労働省も、その昔は逆の立場をとっていたというのですから。
若き記者の記事が、医薬分業に拍車をかけたのかどうかはわかりませんけどね
内容はともかく若手の時に一面を飾る記事を書き、週刊誌にのっちゃうなんてすごいなーと、この原稿を読みながらちょっと会長のこと尊敬しました
同じ事柄を、扱う雑誌によって「笑い者」になったり「エース」になったりするところも興味深いですね。
これが女性問題だったら、どう書かれたのでしょうか。
「敏腕記者、夜も豪腕!?」「夜討ち朝駆けは女性宅?これでいいのか!?新聞社」といくらでも見出しになりそうな文字は浮かびますけど、幸か不幸かそこまでモテもしなかったのでしょう
どこを探しても実績はなさそうです。
最近では少々面が割れているので、叩いても埃の出ない生活を心がけていただくよう再三お話ししているのですが、今のところは心配無用。
ありがたいことに夜の街を歩いていても、あちこちで声を掛けられ本人は「悪いことも出来ないじゃないか!」とブツブツ言うことはありますが、悪いことなんてしなきゃいいんです。
会長がおかしな動きをしていたらご一報ください。
週刊誌ネタにはならなくとも、ホームページのネタには十分おいしいので。
「尊敬した」はずだったのに、なんだか違うところへ着地してしまいました。