このところ政治ニュースを聞くたびに、あまりの低俗さに、驚き、呆れている。本来なら一国民として怒るべきだろうが、その元気もなくなる。政治家(もどき)の人達が、寄ってたかって国民の政治離れに拍車を駆けているようにも思える。若いころ政治部記者として政治の世界を覗いた経験があるだけに、ひとしお、そう感じるのかもしれない。

例えば、郵政改革法案をめぐるテレビ朝日のサンデープロジェクトでのやり取りだ。亀井郵政改革担当相が管財務相に「電話で連絡した」と言えば、管氏は「数字は聞いていない」と反論。亀井氏は「耳が悪いのか」とまで言った。「言った」「聞いていない」の論争はまるで小学生レベルだ。そもそも重要な問題については直接、会って、文書を渡して話し合うのが社会常識だ。それを電話で事足れりとする感覚が信じられない。そんな役員がいる会社はたちまち破産するだろう。改革法案は閣僚懇談会で、鳩山首相に一任され、亀井氏の案で落ち着いたものの、それでいいという問題ではない

民主党の小沢幹事長を批判し、生方副幹事長が、一旦、解任方針が決まったあと、その方針が撤回されたことも納得しかねる。解任は、ほとんどの人が民主党内の言論封殺と受け止めるだろう。そうであれば小沢氏への批判や民主党への風圧が高まるのは目に見えている。少しでも先の見える政治家であれば、それくらいは分かる。それでも解任を決めたということは、国民の批判は甘んじて受ける覚悟はあったのだろう。ところが、現実に国民の風圧が高まると、解任方針を撤回した。ひょっとしたら、先の見えない政治家ばかりか、と思ってしまう。

小沢氏は確かに剛腕で、有能な政治家だ。しかし、常に「政治とカネ」の問題がついて回っている。カネの出所や政治資金規正法違反の疑いも問題だが、ボクはそれ以上に、小沢氏の不動産に対する執着心の方が重大だと思う。政界の実力者がなぜ、土地や建物を買うのか。事務所や秘書の住宅用に買ったとは思えない。極論かもしれないが、「蓄財」のために買ったのではないか。そうだとすると、それだけで政治家失格といわれても、おかしくない。政治家の素質に「蓄財」は必要ないはずだ。

普天間基地移転問題など難問がひしめいている。ところが閣僚や党幹部がバラバラに発言。一体、どれが本筋か、正論か、分からなくなっている。党内の言論は自由であっていいのだが、これでは国民は戸惑ってしまう。対外的に発言する場合は、関係者同士で、多少の意見のすり合わせが必要だ。それすらないというのは、関係する政治家にコミュニケーション能力があるのか、ないのか。

書きだすと、いくらでも疑問点が噴き出してくる。民主党だけではない。自民党だって再建の見通しもなく、これまた崩壊の恐れすらある。このままでは国民があきれ果て、政治を見放してしまう。次の参院選では「支持する政党なし」で、棄権が増大する恐れが大きい。とはいえ、ボクは全く政治の現状に失望ばかりしているわけではない。自民党の長期政権から民主党政権に移ったばかりだ。すくなくとも1年や2年は見守る必要はあるだろう。今はじっと我慢の時かもしれない。