春爛漫もすぐそこまで来ている。いつもなら心躍る季節だが、今年は、なんとなく人生のはかなさをしみじみと感じている。言っておくが高齢化、老齢化に伴う鬱(うつ)病的現象ではない。親しかった友人が相次いで亡くなったからだ。浄土真宗の蓮如上人の「凡そはかなきものは、この世の始中終、幻のごとくなる一期なり。…朝には紅顔ありて、夕は白骨となれる身なり」という「白骨の章」が身近に感じられるのだ。

先月、ボクと駆け出し記者のころからの友人がガンで亡くなった。穴吹史士君といい、63歳だった。大変な才人だった。取材力もあり、文章力も優れていた。特に着想力が豊かで、ボクなんか足元にも及ばなかった。かといってクソ真面目というわけでなく、飲んで騒いで、楽しい仲間でもあった。ボクは「ケッちゃん」と呼んでいた。名前の由来は「ケツの穴吹」といささか下品だ。彼はイヤイヤだったろうが、受け入れてくれた。若いころはあちこちのスナックでよく飲んだものだ。

東京本社の社会部記者としても、敏腕ぶりを発揮、周囲を唸らせた。その後、アエラの副編集長を経て週刊朝日の編集長に。内容を大改革して、名企画を連発して、売り上げを大幅に伸ばした。彼の凄いところは、仕事だけではない。趣味の能面打ちは、素人の域をはるかに超えていた。篆刻(てんこく)もこなし、俳人という一面もあった。最近は疎遠だったが、訃報を聞いて愕然とした。

それから一カ月後、今度はボクと小学、中学、高校と同窓・同級生だった友人・蔵元昭一君が急逝した。外科・胃腸科の医師で、熊本市内で病院長をしていた。県医師会の副会長も務め、藍綬褒章も受けた。彼の偉いところは、決して威張らず、みんなの面倒をよく見ていたことだ。小学・中学の同窓会も、彼が代表世話人をしてくれなかったら、開けなかっただろう。

一年ほど前、軽い心筋梗塞になったが、幸い回復し、ボクたちとも時折り、飲んでいた。それが何故という思いだ。ご家族の話では、熊本市内で車の運転をしていて、気分が悪くなった。そこで高層の駐車場に車を入れ、自分で救急車を呼んだ。しかし、病院に着く前に亡くなったそうだ。道端に駐車して、救急車を呼んでいたら、あるいは助かったかもしれない

二人に共通しているのは、人格、人柄、教養、知性、どこを取り上げても優れていたことだ。だれからも好かれ、慕われていた。普通の言葉でいえば「いい人」だった。やはりそういう人は、惜しまれつつ、早く亡くなるのだろうか。

「いい人」という意味では、ボクも彼らと共通している。ただしボクの場合は、植田(セナガアナゴ)社長や広報のヤッちゃんなどから「居ないほうがいい人」といわれ、スナックや料理店では「居ても居なくてもいい人」といわれ、家族からは「どうでもいい人」といわれていることだ。同じ「いい人」でも、こんなに違うものか。ということは、ボクはみんなに憎まれつつ、やたらと長生きするのだろうか。これまた「はかなさ」の極致かもしれない。

ヤッちゃんのタメ口

「はかない」だろうがなんだろうが、会長には“長生き”をしてもらわなければ困る!
なんのために高い給料を“献上”してると思う。まだ“献上”の元をKABは取ってないぞ。そうだ、このコラムがなくなるとオレ様の出番もなくなるじゃないか。くよくよしている暇はないぞ!働け、長生きをしろ!!
そうそう週末には「KAB社内バーベキュー大会(仮称)」が開かれ、そこで会長と社長の料理対決があるじゃないか!
まあ、社長の勝利は当然のことだが(何度も言うがオレ様は社長派だ)宴会の場を盛り上げる意味でも、会長には普段働いていない分まで頑張ってもらわないとな。
それに、勝利がわかっている対決ほどつまらないものはない(社長は料理をはじめなんでも器用にこなす)普段会長を養ってくれている社員を楽しませるためにも一生懸命頑張れよ。
1人でも“会長派”を増やすために、せめて宴会ぐらいでは「料理を作っていい人」になることを祈る。
おっと、そこでオレ様への仕返しとして変なものを食わせるなよ・・・。日々の“激務”で胃が弱ってるんだから。頼むぞ・・・