先日、行きつけのフレンチレストラン(単なる洋風居酒屋という客もいる)でワインを飲んだ。たらふくご馳走を食べたせいか、眠気が出てきた。別にウツラウツラしていたわけではない。ところが、その店のバアヤと呼ばれるママさんから「あんた、眠っとっとね。眠るといかんばい」と怒られた。とんでもない言いがかりだ。バアヤは言うに事欠いて、「あんたの目は細すぎる。開いとるか、閉まっとるか、ようわからん」だって。

そういえば、寝そべってテレビを見ていると、子供たちがボクの目の前で手の平をヒラヒラさせることがよくあった。邪魔になるので、手の平を払いのけると、子供達は「ほら、やっぱり起きとらす」と笑い転げていた。子供達にとっても、ボクの目は開いているのか、閉じているのか、よく分からなかったらしい。視力が落ちて、眼鏡を掛けると、子供達は「眼鏡かけても、目は大きく見えない」とからかった。どうせ、ボクの目は細いのだ。そのどこが悪い。

ボクが政治部記者をしていた頃、夜討ち朝駆けは必須で、連日、続けた。もちろん、特ダネを取るのが主な目的だ。しかし、夜討ち朝駆けを続けても、政治家が正直に教えてくれるわけではない。ウソをついたり、誤魔化すことは常にあった。先輩がいうには、朝・夜、通いつめて、その政治家の目の動きを見て、ウソか誤魔化しか、分かるようになれということだった。残念ながら、ボクはついにその境地にまでは至らなかった。この伝で言うと、ヤッちゃんはじめ社員たちが、ボクの目を見ながら、ボクの感情を図り知ろうとしても、とても無理な話だ。目が細くても、いいことはあるものだ。

平安時代、美男子の条件に「引目鉤鼻(ひきめかぎばな)」というのがあった。目の状態は、細長い墨線で一筋に描いたようなのが美しいということだ。事実、高貴な人物を描いた絵にはこのような表現が用いられていた。そうなると、ボクなんかさしづめ美男子の代表のようなものだ。ドングリ眼(まなこ)のヤッちゃんなんて、まあ、ゲテモンの部類だったのだろう。こうした美的感覚は現代まで続いている(はずだと確信している)。

ただ、残念ながら、いいことづくめという訳にはいかない。「目は口ほどにものをいい」ということにならないのだ。「目は心の窓」という言葉も、ボクにとっては死語に等しい。ボクの目を見詰めても、だれも、何にも感じないだろう。まあ、ボクは女性に関心はないし、別に、これで不便を感じることもない。別にボクは負け惜しみを言っているのではない。たかが目のことではないか。それにしても「出たら目」という言葉はなんだ。出てないと目ではないのか。こんな出鱈目なことはない。

一番、困ったのは人間ドックでの眼底検査だ。看護師さんが「はい、目を大きく開いて」というが、そんなに開けるものではない。一生懸命、努力しても目は大きくならない。あれこれやっていると、「指で瞼を持ちあげて」なんて言われる。なんとなく欠陥人間ではないか、とも思えてくる。そうそう、コンタクトレンズも、もちろん、使えない。特別注文すれば、可能になるのかなあ。

最後に付け加えると、冒頭、出てきたバアヤの目の大きさもボクとほとんど変わらない

ヤッちゃんのタメ口

“大型連休”開けどんな話でオレ様に挑んでくるかと思えば“目”の話とは“め”いわくな奴だなあ~。えっ、おもしろくない・・・すまん。空気読み人知らずだったぜ!!
まあ、確かに会長の“目”は開いているのか閉じているのかはわからん。あえて知ろうとも思わないが・・・。一見すると人の良さそうな笑顔に見えなくもないが(TVのCMや普段会う人の多くの人がそこに騙されている!!)何を考えているか解ったもんじゃない。実際多くの社員があの“目”に騙されて“あんなこと”や“こんなこと”など(ここでいうとあまりにもやばいので控えるが)いろんな“パワハラ”で痛い目にあっている。
ある意味「一番持ってはいけない人間」が得てしまい武器として存分に使い回っているという所だろうか?いやだ、いやだ。
一方、社長のあの“目”は違う。あれこそ“上に立つ人間”が持つべき“目”だ。
何事にもくじけない“強い意志”と部下を深く愛する“慈愛”が感じられる。(くどいようだがオレ様は社長派だっ!)先週この“タメ口”でオレ様が提案したCMでの“社長vs会長”だが、社長様がおっしゃるには「会長は3枚目だからなあ~」とのこと。やんわりと遠慮されていたが、やさしさが溢れていた。まあ、会長なりに自分を“美男子化”したかったらしく歴史のうんちくを述べていたが・・・あの時点で負けだな、うん。