「惨」として言葉なし。東日本大震災の報道を見て、愕然とした。どんな表現も追いつかない。「事実は小説より奇なり」というが、まさに想像力をはるかに凌駕した事態が展開している。死者・行方不明者の人数は最終的にどうなるのか、いまだに予測もつかない。唯ひたすらご冥福を祈るしかない。

ボクは前の会社にいたころ、リアス式海岸で有名な三陸海岸が好きで、仕事にかこつけてはよく訪れた。宮城県の陸前高田から北上して、岩手県の大船渡、釜石、宮古と縦断したことも何度かある。海岸と山際に挟まれた狭い地区にうねうねと道路と線路が走り、少し広い場所に商店や住宅がへばり付くように密集していた。今回の大震災では、そのほとんどの集落が壊滅したわけだ。

当時、地元の人達の案内で、市街地の高台を訪れると、1960年のチリ地震による津波の話をよく聞かされた。発生してから3、40年経っているのに、みんなよく覚えていた。「あの時は、津波があの高さまで襲ってきて…」というような話だった。よほど恐怖心が染み付いていたのだろう。その時の記録を調べると、一帯を高さ6mの津波が襲い、死者142人とあった。それに比べると、今回の大震災は全く比較にならない大きさだ。チリ地震の津波の経験も、ほとんど役に立たなかったに違いない。

よく「自然の猛威」というが、これほど鮮明に現れた例も少ない。地球規模でいえば、表皮が微動した程度だろう。地球の持つ無限のエネルギーのほんの一部が地表に現れただけのことだ。それだけでこれほどの惨事となる。まさに「地球は生きている」ことを実感させる。見方を変えれば、人間の営みや生命がいかにはかなく、もろいかということだ。

一方には福島第1原発の事故がある。テレビや新聞の報道をみても、相当、重大な事故なのだろうが、いまひとつ真相が見えてこない。政府や東電の発表では、大したことはなさそうな印象を受けるが、果たしてそうだろうか。「炉心溶融」なんて言葉を聞くと、心穏やかではない。なんとか沈静化してもらいたいものだ。

それにしても、原発の事故が続き過ぎる。政府や電力会社は原発の安全性を強調するが、あまりにもずさん過ぎないか。少なくとも「安全神話」を根本から見直す必要がある。ボクは決して原発反対論者ではないが、信頼性が揺らいできたことは否定できない。元々の原因は大震災だろうが、一方で「人災」としての印象も拭えない。

これからも行方不明者の捜索が続き、それから復旧への足取りが始まる。被災者にとっては、苦難の道のりが続く。一方で日本経済への影響も深刻化しそうだ。早くも株価は低落し、円高も進んでいる。生産力の低下も避けられないだろう。やっと景気回復の気配が見えてきたというのに、まさに逆風が吹きだした感じだ。

こんな時に、些事で申し訳ないが、新幹線開業記念イベントとして準備を進めてきた19日の「城下町くまもと時代絵巻」も延期が決まった。被災地の救援状況などを見ながら、改めて実施時期を検討する。今秋の「お城まつり」と連携したらどうかという話もある。これまで協賛、支援してくれた皆さんにもぜひご理解願いたい。

ヤッちゃんのタメ口

今回の地震についてあまりの被害の大きさに、オレ様も表現のしようがないくらい驚いている。被害に遭われた方には心からお見舞い申し上げます。
千葉県にあるオレ様の実家では物が落ちるなどしたが両親に怪我はなかったようだし、東京で暮らす義弟夫妻や、親戚、友人にも怪我はなかった。
連日の災害報道を見ているとアナウンサー時代に一緒に仕事をした先輩や同期、後輩が懸命にリポートなどをして現地の状況を伝えている。茨城に住んでいるガス屋の友人は、1人暮らしの老人宅を優先してプロパンガスなどを配達している。みんな、それぞれ出来ることを精一杯やっているようだ。遠く九州に居るオレ様に出来ることは…。被害に遭われた方々のために、オレ様に出来ることを精一杯やるだけだ。