どういう訳か、最近、いろんな会合やパーティーで挨拶を頼まれることが多くなった。ボクは挨拶が上手なので頼まれるのだろう。と思っていたら、どうも違う。どこに行っても、最年長に近い年齢層に属するので、単に儀礼的に頼まれるだけのようだ。後期高齢者に近付いてきた証拠かもしれない。そう気付いたので、断乎、断わる事にしている。ところが敵もさるもの、絶対に許してくれない。従って泣く泣く、演壇に立つハメになる。どうやらボクが喋ると、お客さんが喜ぶらしい。ボクの顔はそんなにおもしろ、おかしいのだろうか。これまた悲しいことだ。

挨拶の達人である小説家の丸谷才一が書いた「挨拶はたいへんだ」という本がある。この中で「挨拶は必ず原稿を作って読む」とあった。ボクもこれを実行していた。原稿さえあれば精神的にも安心だ。別の本には「挨拶は3分以内」と書いてあった。お客さんが関心を持つ限界は3分だそうだ。それ以上、長くなると次第にうんざりしてくる。だからボクも短めにするよう心掛けている。大体、400字詰め原稿用紙で3枚半が目安だ。

しかし、原稿を用意すると、どうしても紋切り型になって面白くない。話の中身も堅くなりがちだ。おまけに最近では、会場に入って、突然、挨拶を頼まれることが増えてきた。これはほとんど嫌がらせに近い。原稿を用意する時間もない。即興もいいところだ。主催者やお客さんの顔触れを眺めながら、どういう内容にするか、考える。どこで笑いを取るかも重要だ。スベってしまうと、たちまち座は白けてしまう。

最後の締めの挨拶なら、酔いも適当に回り、考える時間はたっぷりあるから、まあ、なんとかこなせる。ところが祝辞や乾杯の挨拶となると、ぶっつけ本番だから、頭の中が真っ白になる。とにかく話の柱を2,3本立て、それぞれの柱で、笑いの種を入れないといけない。このごろは場馴れしてきたせいか、余り焦らなくてもよくなった。アドリブも適当に入るから、こちらの方がお客さんの受けもいいようだ。

ところで、乾杯の正式なやり方を御存じだろうか。いまでは短い挨拶の後、みんなで声を合わせて「カンパーイ」と叫ぶだけだ。しかし、日本古来の伝統的な乾杯のやり方は違う。締めの挨拶は、「万歳三唱」が普通だ。乾杯も、正式には「乾杯三唱」しないといけない。それが今や手抜きされているのだ。正式には、乾杯の1回目は主催者やお客さんのご健勝を、2回目はご繁栄・ご発展を、3回目はご多幸をそれぞれ祈念して、心を込めて三唱するわけだ。

先週、ある会合で乾杯の音頭を頼まれた。いい機会だと思い、早速、乾杯三唱を提唱した。みんな半信半疑のようだった。そこで「乾杯三唱に反対の人は挙手を」と言ったら、だれも手を挙げなかった。ということは全員一致で賛同されたわけで、乾杯三唱を実行した。実は、この話にはオチがある。乾杯三唱のことは、みんな作り話(ウソとは言わない)なのだ。いやあ、人を騙すということは、実に楽しい。最後にネタを明かしたが、みんなは拍手喝采していたから、これはこれでいいのだろう。中には、乾杯三唱を広めようという人もいた。そのうち、本当に広まるかもしれない。

ヤッちゃんのタメ口

別に会長にごまをするわけではないが(改めて言うが、オレ様は社長様派だ!)会長の挨拶は確かにおもしろい。かつてはしゃべり手(アナウンサー)として活動していたオレ様も一目置いてやっていたほどだ。きちんと話の筋道を立てながら、要所要所にジョークを交えて笑いを取る。それでいて最後はきちんとまとめている。まじめ加減笑い加減を絶妙に交える所は、だてに歳を取っていないし新聞記者としての経験が生きているのだろう。

以前、オレ様はある会合に招かれて講演?したことがあり、オレ様の紹介を会長がしたのだが、その話の上手さにかなりの衝撃を受けた。不本意ながら、オレ様の中に目指すべき1つの形が見えた瞬間だった。まあ、このコラムを読んでいると、会長の“才”を感じているとは思うがな!ただ、社員の前で訓示する時は精一杯威厳を保とうとするが長く続かない…(汗)

おっと、きょうはなんだが会長を褒めてしまったぜ。まあ、たまには“飴”を与えて喜ばせないといけないし。このへんの“飴”と“鞭”の使い方がさすがオレ様だ!

敏腕広報とはこうあるんだろうな~。この調子で頑張って番組のPRをしていこう!!