早いもので我が家の庭で野鳥の観察を始めて約1カ月経った。集まって来るのはスズメキジバトだけ。穀物の餌なのでそうなるのだろう。ミカンなどの果物をやれば別の鳥が来るのかもしれないが、餌を変える気はしない。ヒヨドリなんかが来ると、スズメたちが追い出されてしまうからだ。集まるスズメは10羽から20羽のグループが3,4ぐらいか。キジバトは単独とつがいのグループが4,5ぐらいにみえる。

庭先には小鳥の糞が点々と散らばっている。見た目には汚いが、ひと雨降ればほとんど流されてしまうから、さほど気にならない。庭木の肥料になってちょうどいい。それでも近所に迷惑がかからないか、気にはかかる。そうこうしていたら斜め前の人が「屋根や塀が汚くなって」と言ってきた。やはり来たか。まずは謝まらないと、と思った。ところが「ということで古くなった家の手入れ工事をするのでご迷惑をかけます」という挨拶で、小鳥たちとは全く関係なかった。

ホッとしていたら数日後、今度は横の家の人が「糞が汚くて困っている」と言ってきた。餌付けはやはり無理か。しかし、こちらも「ノラネコが出入りして、庭先に糞をして困っている」という話だった。ノラネコを寄せ付けないためにはタバコの吸い殻をばら撒いておくと効き目があるということで、ボクに吸い殻を集めておいてほしいという依頼だったのだ。横の家の人はフンガイ(糞害)して抗議に来たのではなかった(下手なシャレだなあ)。というわけで今のところ隣近所とはもめ事なし。よくできた作り話のようだが、どちらも事実だ。

小林一茶のよく知られた俳句に「我と来て遊べや親のない雀」というのがある。一茶は8歳の時、親を亡くしている。この俳句は「母親のない私は、友もいず寂しい。親のないスズメよ、こちらに来て一緒に遊ぼう」ということらしい。言っておくが、ボクの場合、社員が全く遊びに来ないので、その代わりにスズメと遊んでいるというわけではない。この話は、餌付けを始めた時に書いたが、依然、誤解があるようなので、再度、強調しておく。それなのに最近は飲み屋に行っても「スズメしか相手にされないのでは寂しいでしょう」とよく言われる。世間にはお節介焼きが多すぎる。

それはともかく、一茶の句は間違いだ。親のないスズメなんていない。餌付けを始めたころ、3羽一組のスズメが目立って多かった。よく見ていると、小さめの2羽に大きめのスズメが口移しで餌を与えている。絶対、親子のスズメに違いない。ところが最近では子スズメが大きくなって、自ら餌を啄ばむようになった。もはや親子の大きさの差はない。言いたいのは、母が餌を与えるから子スズメは大きく育ったので、母のないスズメは絶対に育たないのだ。なんて話も関係ないか。

それにしてもこの所、ボクを見るS姉さんの目付きが気になる。どうみても「可哀相に」という同情と憐れみの色がにじみ出ている。あれはボクにはスズメ以外に遊び相手がいないという噂を信じている目付だ。腹が立つなあ。この際、返礼に一句、贈呈しよう。「我と来て遊べや彼のないS姉さん」なんてね。もちろんボクに遊ぶ気は全くない

S姉さんのひとこと

「あ~、また、社員が寄り付かないからって、スズメに遊んでもらって。出入りしているスズメやハトが区別できるって、いったいどれだけ暇なのかしら?」と思っていたら…。
なんと!「彼のないS姉さん」ですって!?

いやいや、相談役の方こそ誤解してらっしゃるようですけれど、私は、よりどりみどり!言い寄る男性をちぎっては投げ、ちぎっては投げ。家に帰れば、おしゃべりで独占欲の強い彼がいっときも離れなくて、もう大変!寂しい老人と一緒にされちゃ困りますわ!

ま、うちの彼は毛むくじゃらで、「ニャァー」と鳴くんですけどね…。