先日、前の会社で同期入社だったK君が奥さん同伴で、はるばる東京から遊びに来てくれた。恐らく10数年ぶりの再会だろう。なんでも先月末、鹿児島県で「環境自治体会議」が開かれ、その帰りに立ち寄ったとか。余りの懐かしさに、日曜日はボクの家で手料理を振る舞い、一泊してもらった。2日目はボクも休暇を取り、マイカーで阿蘇地方を案内して回った

実はK君の初任地は青森で、ボクは隣の秋田だった。そこで2年ほど過ごし、次の赴任地はK君が山口、ボクは佐賀どちらの移動距離が遠いか、競い合った。当時、2,3代続いて新人の東西交流人事というのがあり、東京管内の支局員は大阪、九州へ異動になった。佐賀支局には一年後輩の記者がいて、「来年は東京管内に」なんて言っていたが、交流人事はボクらの代で終わり、後輩はずっと九州から動かずじまいだった。人生なんてどこでどうなるか分かったものではない。

さてK君は山口で1年過ごして当時北九州・小倉にあった西部本社の社会部に栄転した。ボクは仕事ができないため久留米支局に左遷(?)され、本社に移ったのはさらに1年後。そこでK君と一緒に働いていた。さらに数年後、K君は東京本社政治部にご栄転。ボクは不幸にも福岡に異動となった。それから5年後、ボクも東京・政治部に移り、そこでまたK君と一緒になった。とはいえK君は立派な中堅記者。ボクは駆け出し記者であり、半分、アゴでこき使われていた。K君は当時、環境庁担当で環境問題の専門記者として筆名を誇っていた。ボクはというと、相変わらず仕事ができないため首相官邸、野党、自民党、厚生省、大蔵省などほぼ1年ごとに持ち場をたらい回しにされていた。

同期入社の記者は4,50人いたが、東京本社に戻ったのはボクが最後であり、管理職の部次長になったのもボクが最後だった。いわば同期の落ちこぼれだったのだ。そこにいくとK君は敏腕記者であり、看板記者でもあった。ところが途中経過は省くが、局長、取締役になったのは同期の中でボクだけだ。何が、どこで、どうなったのか。いまだにサッパリわからない。別に自慢しているわけではない。「人間、万事塞翁が馬」ということだろう。「落ちこぼれ」だからといって、決して失望することはない

K君はその後、どういう事情か知らないが、鎌倉市長選に出馬し、見事、当選。2期務めて引退した。ボクも鎌倉市にK市長を訪ねたことが何回かある。市長引退後は再びマスコミの世界に舞い戻り、インターネットで環境や地方自治体問題を中心に情報活動を展開していた。鹿児島での会議に出席したのも、その活動のひとつだろう。

それはさておき2日にわたったK君との酒席では悪業を尽くした若かりし頃の思い出話に花が咲いた。ついつい飲み過ぎて、翌日のドライブはきつかったが、それもまた楽しい思い出になった。K君は「最近、耳が遠くなって」とか、抗がん剤を飲んでいるとか健康面を気にしていたが、もともと山男であり、健康を取り戻して、また遊びに来てくれるだろう。ボクもそれまで元気で頑張ろう。えっ、周囲が迷惑だから適度にくたばってくれだって。それがS姉さんの本音かな。

S姉さんのひとこと

あら、懐かしき新聞記者時代のお話ですね。

スズメやハトを観察している姿からは、敏腕記者だった時代があるとは思いもつきませんが、そんな時代もあったのですね。(あ、失礼。「敏腕」だったのはK氏の方ですね^^;)

人間どこでどうなるかは一生過ごしてみないとわかりませんよね。明日、相談役に素敵なお相手が見つかるかもしれませんし。(私には「おしゃべりで独占欲の強い彼」がいます!)

ところで、健康をご心配のようですが、そんな心配はご無用ですよ^^だって、憎まれっ子、なんとかって…