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1983年八代市生まれ3歳で熊本市内へ高校卒業後、ブライダル関係会社のプランナーとなるが、病床の母の看護のために退社。画家で高校(熊本学園大付属)の美術教師をする父親紹介で「七宝焼」と出会い19歳のときに作家デビュー。
七宝焼作家・和田鈴子氏のもとで基本を学び、熊本の文化も作品に取り入れるべく肥後象嵌作家・白木光虎氏から肥後象嵌の基礎を学ぶ。
2007年に熊本市琴平本町にアトリエをオープン。
2008年、国際七宝ジュエリーコンテスト毎日新聞社賞受賞。
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七宝焼とは金属の胎(たい)(主に銅板)にガラス質の釉薬(ゆうやく)を高温で焼き付けた工芸品。
歴史は古く、紀元前古代エジプトで作られその後中国、朝鮮を経て8世紀頃日本に伝わった。
七宝焼は、うわぐすり(釉薬)がガラス質であるため、陶磁器と比べより光沢(艶)のある製品、より透明感のある製品が多く作られている。
現在は「古い」「ダサい」「おばちゃんっぽい」というイメージが強く若者にはあまり受け入れられていない。
作家も高年齢化している。
七宝との出会いは19歳のころ、父親の薦めで七宝焼の体験教室へ行ったことがきっかけ。画家である父親の影響で昔から“もの作り”には興味があったが七宝焼は初体験。
無職というところもあり、「今は自分がやれることを」と思い七宝焼作家への挑戦が始まる。
「自分は不器用」という容子さん、売れる商品を作るまでかなりの努力を重ねた。
独学で色々な技法を取り入れ作品を作り続けた。
容子さんの作品は『七宝であって』『七宝でない』。
19歳のころから「七宝焼」を仕事としてきた容子さん。
自分にプレッシャーを与えるために「作った作品は売る」というスタイルをとってきた。いいものは買ってもらえるし、ダメなものは買ってもらえない。食べて行くにはいいものを作らないといけない…常にプレッシャーを自分に与え続けがむしゃらに作品を作り続けた。
数年かけて徐々に作品も売れ始め、口コミで人気も出始めた。
一番の人気の上昇のきっかけは、2006年の東京のセレクトショップからの出展依頼だった。
《東京町田 セレクトショップVELAS 〜ヴェラス〜》は全国の匠を集めてお店を開いているセレクトショップで、容子さんの作品を見たオーナーがその作品に惚れ込み、定期的な出展を依頼してきた。
容子さん自身「顔が見えないところで作品が売られるのはあまり…」と最初は不安ながらの出展だったが、この出展を機に全国からの展示会の依頼が増える。
2008年、国際ジュエリーコンテストに出すための大作を作成。初めてのコンテストへの出展で毎日新聞社賞を受賞。
しかし、審査員からの「七宝にとらわれすぎ…」「もう少し新しい七宝が…」という否定的な意見が多く、そのリベンジを誓う。
尊敬するのは熊本学園大付属高校の美術教師で画家である「父」。子どものころから父親の影響でもの作りに興味を持つ。容子さんが幼いとき学校の美術室が一番の遊び場だったとか…。
容子さんは三人兄弟の末っ子で兄(34)は埼玉で漫画家を目指しアシスタントをやっている。
姉(32)は熊本市内で保育士をやっている。
☆ 奇抜な髪型でお酒好きの26歳
☆ 自宅兼アトリエでは、地元のアーティストが集い飲み会…
☆ 姪っ子と甥っ子が生まれていなかったら熊本には居なかったというほど子ども好き
☆ 大泉洋好き(チームナックスが好き)
☆ 負けず嫌い
☆ 不器用でおっちょこちょい
☆ 熊みたいな彼氏がいます
KAB開局20周年特別番組『一本気な人』。第3弾となる今回は、熊本市琴平に工房をかまえる七宝焼作家・高橋容子26歳。19歳で七宝焼と出会い、作家として活動して7年。まだ、若手と呼ばれる彼女だが、古来日本に伝わり、伝統工芸品として発展した七宝焼は、今、彼女の手によって新たな伝統へ生まれ変わろうとしている。彼女にとって自分の作品とは何なのか?作家とは何なのか?そして作り続けることとは…?
彼女はその答えを求めて日本で一番大きな七宝焼のコンテスト「日本七宝作家協会展」へ挑戦する。果たして彼女の伝統への挑戦の結果は?そして、彼女は作家として生きて行くための答えを見つけることができるのか?
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