我が家の狭い庭先が野鳥の楽園になりつつある。というと、ちょっと大げさだが、スズメに始り、メジロ、ヒヨドリ、キジバトと多彩な鳥たちが集まってくるようになった。お陰で一日、庭を眺めていても飽きることはない。人望薄く、知人や社員が訪れて来なくなった分、小鳥たちが無聊を慰めてくれる。人望はなくても鳥望(ちょうぼう)はあるのだ。お陰で人生の眺望(ちょうぼう)も開けてきた。
まずスズメだが、朝の9時ごろから10時ごろにかけて30〜40羽が集まって来る。庭木の枝先に群れて、まずは日光浴といったところか。そこでひとしきり時間を潰して、餌場に寄ってくる。夏から秋にかけては夜が明けると間もなく、直接、餌場に行っていたが、この寒さに食欲も少なくなったのだろう。以前は半日で無くなっていた餌が2日ぐらい残っている。
餌をやり出したころは、4〜5羽か多くても10数羽だった。それが時間が経つにつれて、倍々ゲームで増えてきた。どこから集まってくるのか、見当もつかない。かっては軒先と壁との隙間などに巣があったものだが、最近は巣を作る隙間のある住宅はめっきり少なくなった。
餌を与えているのだから、少しはボクに馴染みそうだが、ちょっと縁側に顔を出しただけで、クモの子(この場合はスズメの子か)を散らすように逃げてしまう。ときどきノラネコが迷い込んでくるので、それを警戒しているのかもしれない。おとぎ話の「舌切雀」では、親切なお爺さんに助けてもらったお礼で、スズメたちがご馳走したり踊りを見せたり、小判の詰まったつづらを土産に贈る。ボクは特に「スズメの恩返し」を期待しているわけではない。それにしてもスズメが残していくのは糞(ふん)だけだ。これでは「スズメの糞返し」ではないか。ボクはつい糞害に憤慨(ふんがい)したくなる。
この話を知人にした。ある日、知人の店に行ったら「スズメの恩返しだ」と言って、スズメの飾りもの(※写真参照)を貰った。知人に同情されるようになっては、我が人生も先細りかもしれない。それでも飾りものが可愛いので、大事に部屋に飾っている。まあ、これも「スズメの恩返し」のひとつか。
スズメとほぼ前後してメジロもやって来る。こちらは集団では来ない。番(つがい)が2組、1羽だけが2〜3羽いる。それが時間差をつけ、絶対に餌場でかち合わないように訪れる。庭先の水場で水を飲んだり、水浴びしながら時間稼ぎをして来るのもいる。面白いのは2組のつがいだ。1組は仲が良く、ミカンを分け合って食べている。ところがもうひと組は、餌場に来るのは2羽揃ってなのに、エサを食べるのは1羽だけ。別の1羽が近づいてくると、嘴で突いて追い払ってしまう。一体、どんな関係だろうと、首をかしげたくなる。
ヒヨドリ、キジバトは気まぐれに訪れるだけのようで、特に書くこともない。昨年は2,3月になってホオジロやウグイスもやってきた。今年も来てくれるだろうか。餌もリンゴとかバナナなど種類も増やしておこうと思っている。

庭先に来る鳥の種類を判別できて、一日の行動を把握しているって、いったい、どれだけヒマ…、いえ、観察眼が優れてらっしゃるんでしょう!
いただきもののスズメの飾りものも、私のデスクまわりのウミガメ・ペンギン・ホッキョクグマのフィギュアと一緒に置きたいくらいかわいらしいですね!
それにしても、その年にして、鳥望あって、人生の眺望も開けるとは、いや、うらやましい限りです(笑)