さしたる話ではない。ある日、「歌人になってほしい」と頼まれた。ボクは思わず「えっ」と首をひねった。これまでいろんなことを頼まれてきたが、「歌人」というのはなんだろう。やはり和歌を詠んでくれということだろうか。肥後狂句や川柳、俳句を依頼されたことはあるが、「ワカ」ではなく「バカ」の間違いではないか。そういえば帰郷して間もなく、某広告会社の花見で、短冊を差し出され「まず、一句を」といわれたことはある。サケの勢いでデタラメ和歌を詠ったことはあるが、それ以来だ。
要するに熊本市北区龍田の代継宮で開かれる曲水の宴に歌人として参加してくれということだ。曲水の宴とは平安時代ごろ、宮中や貴族の館で開かれた年中行事の一つ。衣冠束帯を身に着け、曲がりくねったせせらぎの横に座る。サケが入った杯が流れ着く前に和歌を詠み、短冊に書くという、優雅な祭りだ。代継宮では歌人、紀貫之を祀っており、鎮座1050年記念として5年前に始めたとか。
とんでもないことだ。格式高い宴に、下賤の身、下品で無知蒙昧のボクごときが参加できるわけがない。ただちに断ることにした。ところが「本当にそれでいいのか」という悪魔の囁きが聞こえてきた。歌人として参加するのは、まったく新たな挑戦だ。それを逃げるというのはジジイになった証拠ではないか。若さを取り戻すために挑戦したらどうか。一生に一度の体験で、冥土の土産話にもなるぞ。ボクも悪魔の囁きと誘惑には弱い。「和歌ぐらい何とかなるだろう」と、つい引き受けてしまった。
お題は「蛍」と「柳」。いくらなんでも宴の時に即興でというわけにもいかない。数日前から無い知恵を絞り、ありもしない歌人の心を思って、あれこれひねくり回した。時間がたつにつれて、だんだん「便所の火事」(ヤケクソ)になってきた。で、でっち上げたのが次の2首だ。
「蛍舞ひ 水面(みなも)に映えて はかなくも いやます想ひ 人に知られじ」
「川風に なびく柳葉 定めなく わが越し方の あはれなるかな」
えっ、「どういう意味か」って。詠った本人が分からないのに、みんなに分かる訳がない。あっ、違った。雅心を持った高貴な歌人が心を込めた作品だ。そんなに安易に理解できるものか。少しは勉強してから、再度、味わってもらいたい。
さて、いよいよ衣冠束帯を身に着ける。帯を幾重にも巻き、緋色の衣を身にまとう。身も心も引き締まり、背筋が伸びて、あたかも平安時代の貴族にタイムスリップしたような気持ちだ。ひょっとしたらボクの体内には高貴な血筋が1,2滴ぐらい流れているのかもしれない。今でこそ流浪の民に等しいが、恐らく祖先は宮中か、その周辺の出身に違いない。だからこそ衣冠束帯姿も馬子にも衣装ではなかった。ぴったりと似合うのだ。
短冊に和歌をしたため、二礼二拍手一礼したうえで、流れてきた杯を飲み干す。3杯飲んだら、気分までよくなった。やはり血筋は争えないものだ。

「曲水の宴」とは、またなんて雅なお話でしょうか。
その昔、雰囲気を味わいたくて、一度だけ観に行ったことがあります。もっとも、和歌などさっぱりわからないので衣装を観に行ったという方が正しいかもしれません。
高貴な血筋だという妄想はおいといて、意外にお似合いじゃないですか?
詠まれた和歌が、果たしてどれほどのものなのかさっぱりわかりませんが、格好がさまになっていると歌もそれなりに思えるのが不思議なところです。
それにしても、やったこともないことをよく引き受けるものですね。ま、その好奇心が、いつまでも若々しい秘訣かもしれませんね。