秋たけなわ。といえば釣りのシーズンでもある。冬に備えてサカナは大食いする。そこを狙うわけだ。僕はご幼少のころから、釣りが大好きだった。もちろん陸釣りではない。一番、経験が長いのはチヌ釣りだ。2メートル前後の短い竿に、できるだけ細い道糸と仁丹ぐらいの錘を付けただけの、いたってシンプルな仕掛けを使う。ウキはいらない。道糸の動きと手の感覚だけが頼りの、極めて繊細な釣りだが、時として2,3キロの大物も吊り上げることができる

福岡にいたころは平日でも、早朝、渡し舟で沖の防波堤に渡り、2,3時間釣りをしてから、出勤することもザラだった。自然に愉快な釣り仲間が集まるようになる。みんな個性的なヤツばかりだった。「道具のナカヤマチャン」は釣果よりも道具にこだわった。新しい竿が売り出されると、ただちに飛びつく。糸を針に結びつける小道具も持っていた。いろんな道具を自慢するのが趣味だった。

「撒き餌のミヤモッチャン」はやたらと撒き餌を撒きまくった。川釣りでも海釣りでも同じ。サカナがいようといまいと、関係なし。水質汚染の元祖みたいだった。ウデはまあまあだったが、夜の街の陸釣りでは、撒き餌を食い逃げされてばかりいた。「ボウズのマキヤン」初心者もいいところで、ついぞ人並みのサカナを釣り上げたのを見たことがない。それでも10数年たったころには「名人級」になったとか。五島、対馬、壱岐などで大物釣りに挑戦しているらしい。人間はいつかは成長するものだ

かくいう僕は「ウデのカドチャン」を自認していた。まずボウズで帰ったことがない。チヌが無理でもメバルとかセイゴとか、夕食のおかずになるぐらいは釣って帰った。なにしろ食べ盛りの女房と子ども2人がいたから、生活がかかっていた。それなのに誰も僕のことを「ウデのカドチャン」とは呼んでくれなかった。多分、ヤキモチを妬いていたのだろう。それとも事実と違っていたのか。

名前、名称の恨みは他にもある。東京ではもっぱら横浜の離れ波止場が釣り場だった。暇さえあれば毎週一回は夜釣りに出かけた。ここでも釣りの会ができた。みんな立派な称号を持っていた。いわく会長、名人、師匠、船長、竿頭・・・。「師匠、今日はよく釣れましたね」「名人もやるじゃない」なんて会話するわけだ。ところが僕だけ名称がなかった。もちろん僕は激しく抗議した。釣りの会で出た結論は「カドさんは、会社の肩書きだけでいい。名称なんて邪魔でしょう」ということだった。

当時、僕は新聞社の局長をしていた。だが、誰も僕のことを「キョクチョウー」なんて呼んでくれなかった。それどころが「単なるヒラ会員」ということで、「タンピラのカドさん」と呼ばれた。「タンピラのカドさんは今夜もダメだったねえ」なんて言われるわけだ。僕は屈辱感を感じたが、どうすることもできなかった。

さてKABの社員たちもみなさん、個性的で、ついつい本名以外で呼ぶことが多い。しかし、それは昔の釣り仲間への恨みから名前をつけた訳ではない。そこのところはくれぐれも誤解しないでもらいたい。

(釣りバカの項つづく)

コケボウのひとこと

魚釣りですか・・・
魚が釣れるかどうかは「運」だとワタシは思っているのですが、社長のお話を読む限りでは「腕」が必要のようですね。
もともとアウトドア系が全く駄目なワタシ。
陽が射すところで釣り糸をたらして待つ、なんてことができるわけない
それでも「相手は魚でしょ、目の前に餌があったら喜んで飛びつくわよぉ」と3月に海で撮影した時、スタッフに小道具の釣竿を借りて挑戦してみましたが、釣り糸はビクともしない・・・
え?この餌キライなの?なんで食べないの?
目の前の餌にとりあえず飛びつくのは、どうやらワタシだけのようです。
反省反省
もっとも釣り糸をたらしていた時間は2分少々。
これじゃ釣れる訳もないですね(笑)
釣りバカ日誌の浜ちゃんみたいにお供できればいいのですが、才能もないようだし、お供はあきらめて陸上で、社長が釣り上げてみえる大物をさばくべく包丁でも研いで待ってるとしましょう。
社長!小骨の少ない白身魚希望!
お待ちしてます