世の中、分かっていたつもりが、全く分かっていなかったということが、ままある。というか、分かっていないことばかりかもしれない。先日、熊本県立劇場でテアトロ・リリカ熊本主催のオペラ「蝶々夫人」を見て、しみじみと感じた。すべてイタリア語で、内容は日本語の字幕でしか分からなかった。それでもすごく感動させられた。テアトロ・リリカのオペラは、これまで毎年1回、トスカ、ラ・ボエーム、カルメンと見てきたが、みんな素晴らしかった。

今回の蝶々夫人だが、もちろんあらすじは知っていたし、有名なアリア「ある晴れた日に」も聞きなれたものだ。ところがオペラが進行するにつれて、否応なく、あることに気がついた。蝶々さんの夫、アメリカ海軍中尉・ピンカートンは悪人だったということだ。以前は格好いい、米軍海軍軍人としてだけ考えていたが、とんでもない男だったのだ。このことに全く気がつかずに、オペラを見ていたわけだ。いまごろ気がつくというのは、やはり老化現象の現れなのだろうか。

ピンカートンは蝶々さんとの新居に小さな家を借りるが、これは九百九十九年の契約で、いつでも自分のいい時に契約を解除できる蝶々さんとの結婚も、同じ契約だという。そして自分は米国に帰って、米国人と結婚するとまでいう。要するに日本人をなめきっているわけだ。

結婚式の寸前に、米国領事にこのことを告白する。もちろん領事は、ピンカートンを諌めるが、聞く耳を持たない。こんな男に愛とか恋とか語る資格はない。ピンカートンは現地妻が欲しかっただけのことだ。しかし、蝶々さんは当時、十五歳。高校一年生の年頃だ。男の身勝手さに気づくはずもなく、ピンカートンに愛されていると思い込む。ピンカートンは少女を明らかに騙したのであり、詐欺罪ではないか。今なら青少年育成条例に違反しているというのは言い過ぎか。

蝶々さんの結婚には領事、神官、公証人も立ち会っているから、法的(?)にも正式なものだ。にもかかわらずピンカートンは三年後米国人の妻を同伴して長崎に帰ってくる。これは明白に重婚罪に該当する。ピンカートンは自分は卑劣な男だからと言って、蝶々さんに会うこともなく、逃げ去るこんな男を許せるか。

蝶々さんは十八歳の若さで、なんら自害する必要はなかった。ピンカートンの愛の虚構に早く気付いて、刑務所に送りこめばいい。慰謝料子どもの養育費をガッポリ貰い、愛する息子と新たな人生を、豊かに、明るく過ごせばいい。ハッピーエンドで終わってほしかった。まあ、それでは悲劇にならないか。

ボクの言っていることは、明治時代という背景を無視した荒唐無稽な話でしかない。しかし、ピンカートンを悪人とみてオペラを見ると、全く別の解釈も可能になる。さて、プッチーニはピンカートンを悪人として考えていたのか。少なくとも、現代ならピンカートンごとき男に騙される少女もいないだろう。となると「現代版蝶々夫人」というオペラは不可能か。

アセリメのひとこと

任務を終えてアメリカに戻ったまま、なかなか帰ってこない旦那さんを、周囲の言葉には耳も貸さずに信じて待ち続けた蝶々さん。どんな思いで毎日を過ごしていたのかな・・・と思うと、本当にせつなくなります。
社長は、「現代版蝶々夫人」は不可能だとおっしゃってますが、今の世の中だって捨てたもんじゃない!と、私は思います。“純愛”だってきっといっぱいあるはず。私だってきっと・・・!?
ただ、ピンカートン(悪人)=男性、蝶々さん=女性というのは、ちょっと変わってきたかもしれませんね~。今の時代、ピンカートン(悪人)=女性、蝶々さん=男性という構図もあり得るのかも・・・なんて、ちょっと思ってしまいました。え!?私?私はもちろん「蝶々さん」ですよぉ~。
今回、社長はオペラをご覧になったとのことですが、「ホンモノ」に触れるということは、とっても大事なことだな~と、思います。「ホンモノ」の定義を問われると言葉にするのは難しいのですが・・・。KABの番組やイベントでも、たくさんの「ホンモノ」をお届けしておりますので、ぜひお楽しみくださいね。