KABの番組の話で恐縮だが、30人31脚ほど詰らないものはない。小学生が2人3脚を集団でやって、タイムを競うだけではないか。単純至極だ。にもかかわらず、今年も県大会、全国大会ともに見てしまった。鼻先で「フン」とせせら笑いながら、つい感動感激して、涙を流してしまった。我ながら恥ずかしい。本音を言えば、やはり、それだけ素晴らしい「競技」なのだ。

30人が一体となって50メートルを走り抜ける。小学生とはいえ高校生か中学生なみの体格もいれば、低学年かと思うような小さな選手もいる。歩幅も大小さまざまだ。それなのに、一糸乱れず走る。横から見ると、大きい子も小さな子も、一直線になって走っている。どうやればあんなに走れるのだろう。生半可な練習でできるものではない。おそらく放課後は連日、学校によっては夏休み返上で特訓したに違いない。

「競技」だから勝敗はつきものだ。勝って歓喜の声を揚げ、涙を流す。負けて悔しがり、惜敗の涙を流す。同じ涙でも天と地ほどの違いがある。それでも同じなのは純粋な涙ということだ。ここに至るためにどれだけの苦労を重ねてきたことか。そのひとつひとつにドラマがあったに違いない。その結果としての涙である。スタートラインからゴールまでの短い距離に、大げさにいえば人生の縮図を見る思いすらする。それだけに見る者に感動を与えるのだろう。

子供たち同士、子供と先生の信頼関係も見事なものだ。体の小さな子供は恐らく足を引っ張る存在だろうに、みんなそんな気配は微塵も見せない。体が大きからと言って威張る子供もいない。お互いが足りないところを助け合って、見事なチームワークを見せる。ここに至るまでには子供と先生の間に確固とした信頼関係がなければできない。スタート前、ゴール後に交わされる子供たちと先生の会話を聞いていると、そのことがよくわかる。負けたチームの先生が「よくここまでやった。胸を張って帰ろう」と子供たちに言う。涙をぬぐいながらうなずく子供たち。やはりいいなあ。

それにしても先生たちの苦労は並大抵ではないだろう。練習に怪我はつきものだろう。親たちの了解を取るだけでも大変だ。校長の理解がなければできない。といって物わかりのいい校長ばかりでもなかろう。寸暇を惜しんでの練習ともなれば、家庭もある程度、犠牲になる。同僚の先生から白い目で見られることはないのか。ちょっと考えただけで、次から次に浮かんでくる。

実は熊本県は大変な実力県なのだ。今年こそはやばやと敗退したが、昨年は全国優勝したほか、その前にも2回ある。これまで13回のうち3回も優勝している。最初にギネス記録を出したのも熊本県なのだ。なのに今年、県大会に参加したのは5校だけ。もったいないことだ。

ボクは、30人31脚には教育の真髄がびっしり詰まっていると信じている。県大会でも参加した子供たちにとっては生涯の財産になるだろう。もう少し参加校が増えてくれないものか。県教委にも考えてもらいたい。

コケボウのひとこと

草花同様、スポーツにもまったく疎いワタクシ
毎年さんざん中継し、甲子園にまで行かせてもらっているのに、野球でさえいまひとつルールがわからないほど。
そんな私でも30人31脚は、30人が二人三脚の要領で、互いに足を縛り50メートルを走ってタイムを競う、というシンプルな競技だけに、毎年熱くなって応援ができる競技のひとつです。
本番を迎える過程で、必ずいろんな衝突があるようですが、さまざまなトラブルや時には怪我を乗り越えて、スタートラインに立つ子ども達の表情には崇高さを感じるほどです。
子どもというのは、年齢が小さいほど物事をストレートに表現するので、勝ちたい一心で少しばかり走るのが遅い子を非難したりも時にはあるかもしれません。
しかし、みなが「勝利」という共通の目標を掲げたとき、まさに心をひとつにしてそこに立ち向かって行く子ども達は、弱者に優しい集団になっている気がします。
競技当日を迎えるまで、いろんなことがありながらも頑張ってきたんだろうな、と思うとスタート前から不覚にもウルウルもしたりして、どの学校にも勝って欲しい気持ちになります。
人数が決まっているので、クラス全員が選手として出場できない団体もあるでしょう。
選手として選ばれなかった子どもが、裏方に徹して応援している姿もまた心を打たれます。
会社という組織の中で働いていると「会社の利益をあげる」という当たり前の目標も普段の生活の中では見失いがちになりますが、この不況風の中やはり全社一丸となって進んでいかなくてはいけないな、と懸命に走る子どもたちの姿を見て思ったところです。
一生懸命な姿は、何かを教えてくれるものですね。