一度は見てみたい。そう思いながら、何回か通いながらも実現できなかった山都町の清和文楽を、やっと見ることが出来た。話は聞いていたが、これほど素晴らしいものとは。人形、大夫の浄瑠璃(語り)、三味線の3者一体の人形劇に陶酔させられた。まさに芸術そのものだが、全く堅苦しさもなく、舞台に引き込まれてしまう。こんな伝統芸能が残されていること自体が、熊本の誇りだと思った。

「清和文楽」は、江戸時代末、淡路の人形劇の一座が旧清和村を訪れたことに始まる。浄瑠璃好きな村人が人形を譲ってもらい、使い方を伝授してもらった。以来、農作業の合間に練習を重ね、その技術を親から子へと受け継いできた。その過程には、相当な努力と苦労があったことだろう。一時はすたりかけたが、文楽の専用劇場ができて、いまや山都町のメーンの看板になっている。

人形は一体を3人の人形遣いが操る。メーンの人が、左手を背中から差し入れ、頭部を操作する。左手一本で頭を上下左右に動かすだけでなく、首の下に付いているひもで、眉毛、瞼、目の玉、口元を自在に操る。無機質な人形の顔に精気が宿り、あたかも生命が吹き込まれたように感じるから不思議だ。右手は人形の右手を動かす。残る二人のうち一人が左手を、一人が足部を担当する。3人の息が合わないと、人形の動きもギクシャクしてくる。付け焼刃でできることではない

語り部の大夫も凄い。ひとりで登場する人形の男女、年齢、身分に応じて声を使い分ける。それだけでなく喜び、悲しみ、怒り、恐れなどの感情まで表現する。ボクが聞いた大夫は淡路島に修行に行き、もう15,6年やっているが、「一生、勉強でしょうね」と謙遜していた。三味線もいわゆる御座敷芸とは全く違う。緩急自在、強弱硬軟、バチで奏でる弦音が生きている。決して人形の動きや大夫の語りに合わせるのではなく、三味線の音に皆が合わせるそうだ。ただし出演者の体調に合わせて三味線を使い分けることもあるとか。文楽の奥深さも改めて感じる。

上演されるのは6作品2カ月ごとに変える。いまは毎月第2、第4日曜日に上演されるが、20人以上の団体なら予約も受け付けてくれる。断わっておくが、出演する人達は、みんな農家の人達だ。農作業の手を休めて、劇場に駆け付け、終わると再び、畑や田んぼに帰る。それでいながら素人くささを感じるどころか、まさしくプロの演者なのだ

ボクが見たのは「壺坂霊現記」のさわりの部分だった。座頭の沢市と三つ違いの女房・お里との悲しくも切ない夫婦の物語で、最後は観音様の慈愛で沢市の目も治り、仲良く暮らせるようになった。浄瑠璃では珍しくハッピーエンドに終わる。もっと他の作品も見たいものだ。

というところで、ボクはハッと気がついた。ボクもあの人形のように、誰かに操られているのではないか。ボクはいつもコケボウやヤッコダコの言うなりに働かされてきた。そのふたりの背後には、あの悪名高いアナゴ社長がいる。となると、ボクを操っているのは、アナゴ社長なのか。ああ、やんぬるかな。

ヤッちゃんのタメ口

なるほど。会長に言われて気付いたが、三位一体とはまさにオレ様たちのことを言うんだな。コケボウがしっかりと会長に糸を結び付け動きが取れなくし、オレ様がその糸を社長様の元に運び、社長様が操る素晴らしい連携ではないか!

そもそも、会長はそうやってしっかり糸で結んでおかないとふらふらどこに行くのか分かったもんじゃない。年相応に大人しくしてくれればいいんだが、老いてますます盛んとはまさに会長のことだ。ウエイクボードやパラセーリングに飽き足らず山登り(正確には山降りだが…)。きょうもどこかをふらついているはずだ。“ひら”の会長になったのをいいことにやりたい放題だ。コケボウがきつく結んだ糸をオレ様が少し緩めたのがいけなかったのか…。まあ、オレ様のおかげでいろいろとコラムのネタを見つけているみたいだし、元気でいてくれればいいんだがな。