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半導体バブルの陰で

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「土地を売ってほしい」“半導体バブル”酪農王国に押し寄せる開発の波


熊本県菊陽町に進出した半導体受託生産世界最大手のTSMC

半導体受託生産世界最大手のTSMCが熊本県菊陽町に進出して以来、周辺地域は「バブル」とも表現されるような好景気に沸いています。地価の上昇率は日本一を記録し、周辺の時給も首都圏を凌ぐ勢いで上がっています。

その活況の一方で、いま地域を直撃している問題があります。急速に進む農地の減少です。

酪農さかんな熊本県大津町 工場から5キロ離れた農村地帯にも影響が


古庄さん家族が営む古庄農場

熊本県は牛乳の生産量が全国3位。

菊陽町や隣接する大津町の一帯は、とりわけ酪農が盛んなことで知られていて、「酪農王国・熊本」の屋台骨を支える地域です。地元のほとんどの酪農家は、広大な農地を使って、飼料用の牧草やトウモロコシを育てています。こうしてできる「自給飼料」は、高騰する輸入飼料に比べれば価格変動に左右されにくく、安く生産できるメリットがあります。

この地域に今、開発の波が押し寄せています。

TSMC進出をきっかけにした企業の集積と人口の増加で、土地価格は4倍から5倍ほどに上昇していると言われます。菊陽町や大津町などTSMC周辺の4市町では、東京ドーム35個分、164ヘクタールの農地が、工場やマンション建設のために転用されました。

「日本が誘致して、熊本県が誘致して、すごい投資効果が生まれると蒲島(前)県知事も盛んに言っていたので、『いいことたいね』というぐらいの感じでした」と語るのは、大津町で酪農を営む古庄寿治さん。妻や息子夫婦と4人で、乳牛約200頭を飼育しています。農場があるのは、TSMCの工場から5キロほど離れた農村地帯。当初は、自らの生活に影響が及ぶとは思いもしませんでした。

農場の周辺をスーツ姿の人たちが…


古庄農場・古庄寿一さん

しかし、息子の寿一さんには気になることがありました。農場のあたりを、見慣れないスーツ姿の人々が車で回っているのを目にしたのです。

「土地を売ってほしい」

それから間もない去年の暮れ、古庄さんに不動産業者から打診がありました。購入を持ちかけられたのは、農場のすぐそばに広がる農地。半導体関連企業の進出が決まったとのことでした。

いずれも飼料用のトウモロコシや牧草を育てていて、借地も含め7ヘクタールにも及びます。うち3ヘクタールは借地で、なかには10年間の賃借契約を結んだばかりの畑も含まれていました。古庄さんの農場周辺に広がる農地は、14ヘクタールから半減する計算です。

最初は「絶対反対」の立場でしたが、ほかの農家が次々と売却に応じることを決め、畑を手放すことを決めました。古庄さんにとっては、一から作り上げた農地でした。

消えない農業をとりまく不安 「におい」に関する苦情も


古庄農場・古庄寿治さん

「人が土を作る。土が草を作る。そして草が牛を作る。化学肥料を使わず、堆肥で草を作って牛乳を作るのが基本だろうと」

主に、農場から出たふんによる堆肥で、「循環型農業」に取り組んできた自負を抱いてきました。2016年の熊本地震で農場の全壊も経験しましたが、1年かけて再建。生産規模を順調に拡大させてきた矢先のことでした。土地が確保できなければ、酪農は立ち行かなくなります。

交渉を続けた結果、近くの山林を切り開くなどして6ヘクタール弱の農地を確保できる見通しが経ちましたが、営農継続の見通しが立たなかったストレスで、息子の寿一さんは「体重が4キロ落ちた」と振り返ります。

古庄さんにとっては、孫が「酪農を続けたい」と言ってくれるのが励みですが、農業をとりまく環境への不安は消えません。

「我が家は周辺に住宅がなくて、代替地をもらえそうなんですけど、ほかの農場は『借りていた畑を全部返してくれ』と」
知り合いの農場には、周辺住民から「におい」に関する苦情も実際にあるとのことです。

「だんだん牧場の近くまで民家ができて、堆肥をまくとすぐ苦情がくると。『くさい、洗濯物ににおいがうつる』と言われた知り合いもいる。今までのように酪農がやれなくなるよねと心配している人がいます」

熊本県は代替農地として、耕作放棄地や遊休農地と農家のマッチングを去年9月から進めていますが、放棄された農地が農家の希望と合致することは難しく、いまだ1件も成立していません。

酪農王国の足元で進む開発の急スピードに、行政の対応も追いつけていない現状があります。