熊本市の慈恵病院に「こうのとりのゆりかご」が開設されて17年。設置初日の2007年5月10日、最初に預け入れられたのは、対象と考えていた新生児ではなく、3歳の宮津航一さんでした。
宮津航一さん
「ゆりかごに対して、まずは感謝がありますし、ゆりかごによって自分は救われたと思っています」
熊本市によると、2022年度末までに「こうのとりのゆりかご」に預け入れられた子どもの数は170人。設置から17年が経ち、設置当初0歳で預け入れられた子は17歳になりました。
18歳で自身の生い立ちについて告白した航一さんだからこそ、考えることがあります。
宮津航一さん
「やはり告知を受けた後というのは心の揺らぎがあると思うんですね。それが多感な時期だと、それを十分に受け止めきれずに、また大きな反発になってしまう部分もありますし、もしかしたら関係性が崩れてしまうことがあるかもしれないので、そういう意味では、その時だからこそできることがあると思っていますので、できるだけ早く、そういうつながりを作って、お互いにいろんなケースとか自分たちの良かった点も悪かった点も含めて共有しあって、これから預けられる子ども、今から成長する子どもたちが1人でも2人でも前を向いて歩けるように、お互いにそういう場を作っていく必要があるんだろうなと思っています」
航一さんのもとには、子どもたちを預かる親やゆりかご出身の当事者から、時折、打ち明けるタイミングや打ち明け方などについての相談の電話が寄せられるといいます。
このような相談者のため、ゆりかご出身者が集うことのできるコミュニティーを作りたいと考える航一さんですが、そこにもさまざまな課題があります。
宮津航一さん
「ゆりかごに預けられた子ども達、養親さんもネットワークを作っていきたいとは思っているんですけど、果たして、そのネットワークに参加して、つながりに来たいという方が本当にゆりかごの当事者であるかどうかというのは、私たちは調べる余地がありませんし、割合は少ないと思いますけども、好奇の目で興味本位で、もしかしたらそういう方が現れるかもしれませんし、本当に自分たちのことをさらけ出して、お互い本音で話し合う場が必要だと思っていますので、そういう不安をどうやったら取り除けるのか、考えていかなきゃいけないところかなという風に思っています」
出自を知る権利については、議論が進んでいますが、結論は出ておらず、場合によっては当事者でさえ分からないというのが現状です。
宮津航一さん
「すべては分からないにしろ、できるだけ子どもたちの根っこの部分をまずは作って見つけていって、保障してあげて、そこから先につながる子どもたちの人格形成につながればいいのかな」
これからのこうのとりのゆりかごについては―
宮津航一さん
「ゆりかごに預けられたことも大切ですけれども、結局はその後が大きく人生に関わってきますし、大切なことなので、ゆりかごをプラスに捉えてもマイナスに捉えても、それは自分の一つの生い立ちなんだというのを受け止めてもらった上で、じゃあ自分にできることは何なのかというのを大きく考えすぎずに、重く受け止めすぎずに、自分にできること、自分の道をしっかりと歩んでいけば自分はそれでいいんじゃないかという風に思っています」