ハンセン病の隔離政策への国の責任を追及した国賠訴訟で第1陣の原告副団長を務めた国立ハンセン病療養所菊池恵楓園の自治会長、志村康さんが亡くなりました。
志村さんは去年春から体調を崩し、合志市にある菊池恵楓園の園内の病院に入院していましたが、1日、92歳で亡くなりました。
佐賀県の生まれで、強制隔離政策下の1948年に恵楓園に入所。元患者らを隔離してきたらい予防法は、1996年に廃止されましたが、長きにわたる誤った政策は憲法違反にあたると1998年に国を訴え、2001年に国の責任を認める判決を勝ち取りました。
2003年に、南小国町のホテルで起きた宿泊拒否問題などでも、ハンセン病の正しい理解と人権の大切さを訴え続けました。
通夜と葬儀は入所者・職員のみで営まれます。