ハンセン病の隔離政策への国の責任を追及した国賠訴訟で第1陣の原告副団長を務めた志村康さんが亡くなりました。生涯を通じ、人権の大切さを訴え続けました。
2001年5月、ハンセン病元患者らを強制隔離した政策への国の責任を認める判決が言い渡されました。
「跳び上がりたいような衝動にかられました」
志村康さんは、この訴訟の原告副団長。佐賀県に生まれ、強制隔離下の1948年に合志市の国立ハンセン病療養所菊池恵楓園に入所。国の長きにわたる誤った政策は憲法違反と訴え、裁判を闘い抜きました。
2003年に南小国町のホテルで起きた宿泊拒否問題では、恵楓園の入所者へ心無い手紙が届くなどし、改めて、ハンセン病の正しい理解を訴えました。
2012年には、子どもを産むことが許されなかった歴史をもつ恵楓園の敷地に、地域の子どもたちが通う「かえでの森こども園」ができました。
こども園は地域に開かれた療養所づくりの柱で、入所者の高齢化が進む療養所の先を考え地域とともに、人権の芽を育みたいとの思いがあります。
「ハンセン病のような悲しいことがないように、人権思想を育ててほしい」
去年の春に体調を崩し入院していた志村さんは、1日に亡くなりました。92歳でした。