「ミスター」の愛称で親しまれた長嶋茂雄さん。長嶋さんは、天草とも深いつながりがありました。
熊本市では号外が配られ「ミスタープロ野球」の功績をたたえる声が相次ぎました。
まちの声
「宝物を失ったなと。長嶋さんが試合に出て、いつもホームランを打ったりとか、華麗な守備を見せたりとか、夕方になると巨人のナイターでしたね」
「やぱりスターでしたよね、派手な方だと思います」
「プロ野球を1つのショーというか、見ても楽しいし、ゲームとしても楽しいものにして、プロ野球にものすごく貢献された方でしょうね」
89歳で亡くなった長嶋さんは、千葉県出身で立教大学を卒業後、巨人に入団。勝負強いバッティングを武器に、巨人の「V9」に貢献しました。
「ミスター」の愛称で多くの国民から親しまれ、2013年には、まな弟子の松井秀喜さんとともに、国民栄誉賞も受賞しました。
実は長嶋さん、天草と縁がありました。1985年から実施されたトライアスロンの大会に、日本トライアスロン連盟の会長としてたびたび訪れ、スターターを務めるなど大会の発展にも力を尽くしました。
また、1989年に、天草市の広瀬公園野球場がオープンするにあたり、本人の了解を得て「長嶋茂雄球場」と命名。長嶋さんも訪れ、喜びを語っていました。
長嶋さん(当時)
「こうやって素晴らしい球場の中で、名前を頂戴して、本当にますます責任を感じつつ、野球人としての誇りをさらにまた増すばかりでございます」
球場には、長嶋さんの手形の記念碑もあり、地元住民からも愛された存在でした。
住民
「本当に大好きでしたね。ここで、こうしてあぁ手が小さいんだと、自分の手と比べ合わせる人がいましたね」
また「ON」としてプロ野球の一時代を築いたあの人も、感謝の言葉を述べました。
王会長
「ありがとうございましたという言葉ですべて表せると思います。プロ野球の選手がみんな長嶋さんのほうへ向いていました」