
「50年遅れて66歳で高校生になった私。何が目的で高校生になったんだ、という周りの人たちの背中を刺すような視線を感じて、しばらく辛い日々が続きました」
今年開かれた定時制通信制高校の生活体験発表全国大会で、69歳の高校生が最優秀賞にあたる賞を受賞しました。
「友人や同級生に聞かれたときは『しっかり勉強していい会社に入るためだよ』と冗談を言って笑いを取っているのです」

66歳で高校へ 軽トラで登校
熊本県の水俣高校定時制に通う森下敦さん。農業を営む森下さんは、夕暮れ時、軽トラックで登校しています。この日は、まずビジネスの授業。「イノベーションだとか聞いたことない用語が出てくる。グローバル化だとか、時代が変わっていってるなと、つくづく感じます」と森下さん。馴染みのない知識を吸収するべく、真剣にテキストと向き合います。
2時間目は国語表現。森下さんが最も苦手とするパソコンを使う授業です。メール作成に挑戦しますが、同級生とはタイピング速度に大きな開きが。
「この機械は苦手中の苦手。昭和生まれの欠点ですね、これは」と苦笑いする森下さんを平成生まれの仲間たちがサポートしてくれます。教えてもらいながら、なんとかメールを送り終えました。
ともに学ぶ同級生たちからも「元気で活発だなと思います」「たまにアイスとか買ってきてくれて優しい」と慕われている森下さん。「教えてもらっている御礼、授業料代わり」と笑顔を見せます。
フクちゃん農園と深い喪失
鹿児島との県境にほど近い水俣市の山中に森下さんの「フクちゃん農園」があります。父親らが戦後に耕した開拓農地です。

農園の名前は、妻のフクヨさんにちなんでつけました。「明るくて、誰からも好かれる感じで、みんなから『フクちゃん、フクちゃん』って言われて」と優しい表情で語る森下さん。
40年前に結婚し、子どもを3人授かりましたが、フクヨさんは4年前に病気で亡くなりました。
「腰が痛い、腰が痛いって言ってたんですよね。もうちょっと早く私が気づいてあげればよかったんですけど」
妻を亡くし「目標を見失ったところがありました」と振り返る森下さん。「どうしよう、どうしようと思ったら、とりあえず学校行ってみようかなって、パッと頭の中に浮かんできた」そう語ります。
中学校を卒業してすぐに働きに出た森下さん。フクヨさんの四十九日が明けて水俣高校に入学しました。学校生活でもフクヨさんを忘れたことはありません。
『在りし日の君と眺めし恋路島 告げたる思いは 今も変わらず』
今年の文化祭で読んだ短歌にも思いを込めました。
「いつも帰ってきてから、妻に話しかけるみたいな感じで、今度、全国大会で東京に行くのが決まったけん、あんたも一緒に行くぞって話をしたんです」
「笑いあり、涙あり、感動あり」
今年11月。笑顔のフクヨさんと一緒に全国大会に臨んだ森下さん。

「先生から『あなたは皆に影響を与えていますよ』と励まされ、どんなに気が楽になったことか。自分のままでいていいんだと思えた瞬間でした。亡き妻からの『人生、笑いあり、涙あり、感動ありよ』というアドバイスに従い、辛い話や真面目な話をする時にも少し笑いを取り入れるようにしてました」
6分半のスピーチ。最も伝えたい平和への願いを訴えて、締めくくりました。
「私や定時制の仲間たちが日々の学校生活の中でやりたいことがやれているのは日本が平和であればこそだと実感しています。残念なことに今、世界では紛争や戦争が続いています。そのために多くの子どもたちが犠牲になってるのを聞きますと、胸が痛みます。誰もがやりたいことをやれる社会であってほしいし、皆さんはこれからも永遠に、戦争を知らない子どもたちでいてほしいのです」
かつて、母から聞いた戦争体験は、学びの機会を得たことでより強く「あってはならない」と思うようになったという森下さん。その熱いスピーチは高く評価され、最優秀にあたる文部科学大臣賞に輝きました。
「最後なんかはちょっとセリフも飛ばしちゃったんですけど、こんな賞もらえるなんて信じられないと思って。孫の世代なんですけども、みんなが、私のことを高校生として扱ってくれたので、本当に、有意義な高校生活が送れてると思っています」
笑いあり、涙あり、感動あり。森下さんの青春はこれからも続きます。













