慈恵病院の「こうのとりゆりかご」に子どもを預けた経験を持つ女性に話をききました。
「これが赤ちゃんの時、可愛いでしょ、そりゃ一緒に暮らそうかなってなりますよね。うちの子可愛かったんですよ」
30代のさおりさん(仮名)、専門学生時代に妊娠が分かりました。
予期しない妊娠でした。 両親は離婚していて、2人で暮らし、何でも話せると思っていた父親にも、相談できませんでした。
「怒られるのが目に見えていたから、言っていなかったです。妊娠が検査薬とかで分かってからも、まあ間違いだろうという感じで、なかったことにしようとしていました」
現実を受け止められず先送りに。学校の実習に追われる日々を過ごし、陣痛は始まりました。
「学校の寮で1人で産みました。トイレで産んで…。生まれてから出てきて、最初、生きているか分からないから、見ていたら動いたので、生きていると思って、そのまま風呂場に行って、2人とも血まみれなので洗い流しました」
自分では育てられない…。
ゆりかごの存在を思い出し、新幹線で熊本へ。赤ちゃんを預け入れ、立ち去ろうとしたとき看護師に呼び止められました。
「基本的に泣いていました。後悔と、預けて不本意というか。本当は離れたくないし、悪いことしたなとか」
赤ちゃんを引き取りたい―
数日後、勇気をふり絞り、父親に打ち明けました。 その後、父親の支えもあり、猛勉強の末、就職。
子どもの小学校入学を機に、一緒に住むようになりました。子どもにゆりかごのことを伝え始めています。
「結局赤ちゃんポストに預けられたことが、間違いなくあの時では最善策だったと、今、自分では信じているんですけれど…」
訴えるのは、母子に寄り添った分かりやすい支援の必要性です。
「行政に相談したって何をしてくれるか分からないし、相談しないでおこうとなっちゃうと思うんです。分からなかったら、預けるしかないんですよね、だから、そこがもっと明るかったら、私も預ける、預けないとか、相談する、しないとか、あの時の人生が変わったと思う」
さおりさんは、ゆりかごがあったから、親子の関係が途切れずに保つことができたと感じています。