熊本市の慈恵病院が設置している「こうのとりのゆりかご」に預け入れられた大学生。生い立ち公表から3年を迎える2025年、将来への決意を聞きました。
「自分の中でも覚悟を決めた。ただ当事者として話をして発信をするだけではなくて、伝えていく使命があると思ったし、1回で終わらせるのではなくて、これから何十年と預けられたものとして伝えていく役割がある」
大学生の宮津航一さん(21)。3歳の時に慈恵病院のこうのとりのゆりかごに預け入れられました。里子として迎え入れられた宮津家で育ち、養子縁組。18歳のときに生い立ちを公表しました。
航一さんは、高校時代に両親と始めた子ども食堂を月2回、開き続けています。
「年々、活動の輪が広がって、人もたくさん集まって。子どもたちの居場所になれているなと感じますね」
ほかにも「子ども大学くまもと」を2024年に開講。専門家の講義を子どもたちが受けることができます。どんな境遇の子どもも学びたい心を育む機会にしたいという思いからです。
「子ども食堂に来る子どもたちや保護者の方とかかわっていて感じるのは、外見ではわからないんですけれど、接していくうちに心が十分に満たされていないなって…。心を満たす居場所づくりに取り組んで、いろいろな活動をしてきましたけども、居場所だけでなくて、そういう“機会”を作ることも必要だと」
こうしたなか、力を入れたのが、講演活動でした。去年1年間で44回。その半分が県外での講演です。自分だからこそ伝えられることがあると強く感じたと言います。
「3年前生い立ちを公表した時に、そこで1つの役割が終わりになるんだろうなという感覚だったんですね。そしたら想像以上にこの3年間当事者活動をさせてもらっているので、まだまだ、これからゆりかごに預けられる子どもはいるだろうし、ゆりかごに預けられる子どもはこれから生きていくわけなので、発信をし続けないと、ゆりかごに対する理解も年々薄まってくると思う」
ゆりかごがあったから救えた命があるということ。子どもには生い立ちを伝えてほしいということ。一つ一つ丁寧に語ります。
「受け入れることができたのは、生い立ちをしっかりと(両親が)伝え続けてくれていた。だからこそ、ここで皆さんにプラスに自分の生い立ちを伝えることができています」
次の春から大学4年生になる航一さん。今の活動を継続することを決めました。
「どんな境遇の子も幸せになってほしいというのが大前提にあって。自分の今置かれている境遇を悲観したりするのではなくて、それも自分の大切な人生の1つだと思って、前に向かって自分の力で歩いていけるような、そういう子どもたちが社会の中でたくさん増えていけばいいんだろうなと。その少しのお手伝いは自分にもできるかなと思います」