
本来、大人が担うと想定されている家事や家族の世話などを日常的に行っている子どもを指す「ヤングケアラー」。こども家庭庁のデータでは、中高生の17人に1人が「ヤングケアラー」とされています。
抱え込んでいた思い 日記に…
「自分で抱え込むことが多かったかな、悶々と…。みんなはお母さんと言い合ったり『うちのお母さんここが嫌』とか言ってるのに、そうできないのは、すごく辛かった。みんなと同じじゃない」
熊本県在住の山本さん(仮名)。聴覚障がいがある両親のもとに生まれました。発話による言語を習得する前に手話を覚え、物心ついたときには両親と手話でコミュニケーションをとっていました。

「数字がわかるようになってからは、病院やお店のお会計、簡単な数字から手話通訳するようになって、最初は周りの大人も『えらいね』と言ってくれたり、お母さんも喜んでくれてたので、率先して通訳してました。日本語は保育園や耳が聞こえる祖母から習得しました」

6歳の時に弟が誕生。長女として弟と両親の通訳をするなど家庭内を支えるようになりました。学校の連絡も、家にかかってくる電話も、山本さんが対応して通訳をしていました。
「いろんな言葉が分かるようになってきて、どうしても感情を伴う通訳が辛くなってきて…」
耳が聞こえない両親に向けられた言葉のなかには、傷つけてしまうようなものも。親が悲しまないようにと、内容を変えて通訳することも増え、通訳をしたくないと思うようになりました。
「学校で友だちと明るく遊んでいても、家に帰ると辛くて泣きたい日とかあって…。でも、そういう自分を見せちゃったら『親が耳聞こえないから、子どもがかわいそう』と言われるのが一番嫌で、苦しい部分は、絶対見せちゃダメだと思っていた」と語る山本さん。あるときから、日記に思いをつづるようになりました。
(日記より)
お父さんとお母さんが耳が聞こえないから仕方ないって、思われたくなかった。
親戚も学校の先生も手話通訳の人も、お店の人も、知らない人も、すべての大人が怖かった。
大人が怖いから「いい子」でいることで気に入られるようにした。
日記に書くことで、隠していた自分の思いがあふれ出てくるようになりました。

(日記より)
誰かたすけて…。たすけてよ…。守ってよ。
今人に頼ったらダメ。自分の足で立たなきゃ。頼ったらだめ。
頼ったらまけ。自分にまけ、ダメ。ダメなの。頼ったら。
じゃなきゃ社会でやっていけない。大人にならなきゃ。
「助けて」という思いと「自分が何とかしなきゃ」という考えが堂々巡り。誰にも悩みを打ち明けることはできませんでした。
(日記より)
「感情なくなればいいのに、苦しいなんて、感情がなかったら辛くないのにと思っていた」
中学、高校時代は「何も考えたくない、何も感じたくない。知りたくない、気持ちなんて知りたくない」という思いが強かったと振り返る山本さん。県外の大学への進学を夢見たこともありましたが、家族のサポートを優先させる形で断念。「きっと、ここまでしか許してもらえないという範囲の中で、したいことをしよう、そこを超えるという想像はなかった」と話します。
同じ境遇で悩んでいる人の助けに…

現在は、結婚して親と離れて暮らしている山本さん。同じ境遇の人の助けになればと、自身の経験を個別相談やイベントなど伝える活動もしています。
(日記より)
12才の誕生日は覚えてる。
きっとその後だ。
自分が愛されていないと決めたのは。
ずっと苦しかった。ずっと寂しかった。
でも何でそう思うのか、ずっとわからなかった。
今は分かる。自分はずっと愛されたいと思っていた。
愛されているのに。
「自分の苦しさってどこから来ているんだろうと考えたときに、幼少期の積み重ねから来ているんだな、と振り返るようになって。振り返る中で、誰かに話すと自分の気持ちが整理されていくのがわかって、ちょっとずつですけど、自分のことを知ってもらいたいとか、自分が話すことで、いま苦しんでいる人たちが『同じ経験している人がいるんだ』と、助けになれたらいいなと思って、しゃべるようになってきました」
しかし、まだ母親には自身が抱えてきた思いを話せてはいません。
「母と向き合うのは怖くて、言えてないのが現状です。母に笑顔でいてもらいたい、悲しい顔してほしくないので、言ったら悲しむかなと思うと言えない」
それでも、感謝の思いは変わりません。
「母は母なりに育児してくれてたんだろうし、ほかのお母さんと比べて完璧ではなかったかもしれないけど、母なりに育ててくれて本当に感謝しているし、生まれ変わっても耳が聞こえない親のもとで生まれたいと思います」
ヤングケアラーをめぐっては、去年6月に法改正され、国・地方公共団体などが支援に努めるべき対象として明記されました。熊本市でも去年10月支援センターを開設。電話やLINEなどによる相談を受け付けていますが、実情が見えにくいところもあります。

「『大丈夫?』とか『困ってない?』と聞かれても、多分「困ってない、大丈夫」って答えてしまう。どんなことしてるの?どんなお手伝いしてるの?と聞かれた方が言い出しやすかったかな。子どもからしたら、SOS出しづらいので、身近にいる大人、学校の先生や介護福祉関係だったり、子ども食堂とか、いろんな大人が敏感に子どものSOSを察知して、そこから必要なところにつないでくれるような社会になればいいんじゃないかなと思います」













