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2026年5月22日 11:01
わずか数十メートル…島を分ける“見えない線”「同じ魚を食べているのに」水俣病と診断も認定されず

 熊本県水俣の対岸に位置する鹿児島県の長島。漁業・農業ともに盛んな自然豊かな島です。しかし、この島には、東西を分けるように見えない線が引かれています。

 上田正幸さん(79)。この地で生まれ育ち、18歳で島を離れましたが、10年ほど前に戻り、今は農業を営んでいます。母親は行商で、食卓にはたくさんの魚が並んだといいます。

 「食べるものは、魚しかなかったんですから、魚かカライモか。当時は貧乏でしたから」

 30代のころから、ものを落としたり こぼしたりしてしまうことが増えたという上田さん。長島に帰ってきた際に水俣病の話を耳にして、自らも水俣病ではないかと考えるようになりました。現在は手足のしびれやこむらがえりなどの症状に悩まされています。

「だって、手が痛いのに『痛くないだろうが』って、『偽みたいなこと言うんだろうが、金が欲しいんだろうが』って言うわけですからね。実際になってみるとやっぱりきついです」

 病院を受診し、水俣病と診断されましたが、鹿児島県への申請では、患者とは認められませんでした。

 2009年に施行された水俣病特措法。患者として認定されていない人たちを救済することを目的としていますが、この法律には、救済対象地域か否かを分ける“線引き”が存在します。

「向こうに1本立っている竹がありますでしょう。あれから20メートル奥が浦底地区(救済対象地域)になるんです」

 特措法が成立する3年前、旧東町と旧長島町が合併して誕生した現在の長島町。同じ島内ではあるものの、上田さんが暮らす西側の旧長島町は救済対象地域ではありません。

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 救済対象となった東側の旧東町まで、わずか数十メートルの距離です。

 「理不尽ですよ。線を引く自体がおかしいですよね。こんな小さな島でですよ。同じ魚を食べているじゃないですか。線は引かずにですね、やっぱり私たちも認めてもらいたかったです」

公式確認から70年 

 線引きの境界を超えた健康被害の訴えは、水俣病が公式確認されて70年経った今も続いています。

 熊本朝日放送と朝日新聞社、鹿児島放送、熊本学園大学と合同で水俣病の患者、被害者らを対象にアンケートを行いました。

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「この10年間で特に悪くなった症状」について、特措法の救済対象地域内と地域外に分けて集計しました。

 その結果、「手や足がつる」とした人は、救済対象地域の内外とも同率の81%にのぼりました。このほか、「手や足がしびれる」は地域内で66%、地域外では74%となるなど11項目のうち9項目で、地域外が地域内を上回るか同率となりました。

 線引きの内と外で、自覚症状に大きな差がないことがうかがえます。

漁師の家に生まれて…

 岩﨑明さん(74)。特措法で救済対象地域から外れた長島の西側、蔵之元に暮らしています。漁師の家庭に生まれ、自身も漁をしながら、観光船や旅館を営んできました。

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 海とともに育ち、魚ばかり食べていたと語ります。

 「囲炉裏にみんなで囲んで、とれたキビナゴなんかを焼き網で焼いて、食べるのはおいしかったですね」

 そんな生活の中、明さんの祖父・源次郎さんに突然の異変が起こったのは、1950年代半ばのことでした。

「今から考えれば水俣病だったのかなと思うんですけども、こんなふうに手が震えてましたね。あの屈強な人がね」

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 源次郎さんは、水俣病公式確認から半年後の1956年11月「水俣病であることは言わないでくれ」と言い残し、66歳で亡くなりました。

「自分たちは魚をとって生活しているので、魚が売れなくなるとやっぱり、困るという気持ちがあったのかなと思います」

 その後、岩﨑さんの体調にも変化が現れます。

「腹筋とか胸の筋肉までつって、それがなかなか取れなくて、伸ばさなきゃいけないんだけども、それが取れなくて、もう死んだら楽になるから、死んだ方がましだなと思ったりもするんです」

 専門医の診断を受けたところ、「典型的な水俣病の症状」と告げられました。しかし、鹿児島県への申請では患者と認められませんでした。

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「小学生でも分かる問題だと思うんですけども、線を引いてここから、こちらには水俣病の魚は来ないという根拠自体が、常識をどう思っておられるか」

 国の“線引き”に不信感が募ります。

「常識の分かる行政であってほしいし、常識の分かる世の中であってほしいですね。早く解決してほしいですね。いい人生だったと言ってみんな終われたらいいです」

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