川の近くで生きるということ舩津真弓

舩津真弓 閲覧ポイント:1025Pts

球磨川が不知火海に注ぐ最下流の八代市で生まれ育ちました。

私の通った小学校は球磨川のすぐ横、中学校は三角州にあって、高校まで含めて校歌には球磨川が登場します。

八代に帰ったときには、球磨川や前川(球磨川は八代市街で分かれています)の写真を撮っているぐらい、大好きな風景です。

今回の豪雨では、最下流を除いて、ほぼ全域で球磨川が氾濫しました。

いまだ全容は把握されていませんが、各地で甚大な被害がでています。

実は、あの豪雨の1週間前、知人を案内して、八代~芦北~球磨村~坂本をまわったばかりでした。

一番見てほしいと案内したのが、ダムが撤去された「球磨川」。

この時に行ったお店も、通った橋も、いまはありません。

豪雨から2週間となる週末、八代市坂本町の知人の自宅周辺に泥かきの手伝いにいきました。

実は、ここから1キロほどのところに、祖父母の家があります。

球磨川に支流が流れ込む地点ですが、高台にある祖父母の家は被害を免れました。一方、球磨川から1キロ離れていても、支流があふれた知人の家周辺は1階まで水没しました。

復旧作業には、住民や親族、知人に加えて、県外の支援団体が重機を持ち込んであたっていました。

新型コロナの問題で、県外のボランティアは入れない状態ですが、この方々のおかげで、高齢の住民ばかりの地域でも作業がはかどったのは事実です。

泥だらけの写真の中には、30年ほど前の風水害の写真もありました。

だから、家の中をかさ上げしたのだと。

今回は、それ以上の高さまで水がきたということです。

翌日は、同じ坂本町の鶴之湯旅館の手伝いに行きました。

くまパワJでも先週、放送しましたが、球磨川沿いに建つ3階建ての老舗旅館です。

ここには、私の友人たちが立ち上げた八代のグループが支援に入っています。

トレイルランニングの大会を八代で計画していた友人は、道路が寸断された坂本に、真っ先に走って現地に入りました。

作業の途中、軽トラックで通りがかった高齢のご夫婦が、ご自身の自宅はまだ手がつけられていないという話をされていました。

きっと、そういう方が多くいらっしゃると思います。

鶴之湯旅館の2階からはいまだ濁ったままの球磨川が見えます。

寝ころんで目を閉じると、川の音とセミの鳴き声、心地よい風…夏休みの祖父母の家を思い出しました。

自然を人の力でコントロールすることはできない。

でも、いつかまた、取り戻せたらと思います。

そのためには、どうしたらいいのか。

川のそばに暮らすことはできるのか。