細川家に残された西南戦争をめぐる「日記」を分析すると、新たな戦いの記録や巻き込まれる市民の様子が記録されていました。
熊本大学は、旧熊本藩主細川家に残された「明治十年変動中日記等写」の分析結果を発表しました。
現在の熊本市中央区水前寺公園で細川家が運営していた「砂取絞蝋所」の使用人らの日記を抜粋した史料で、1877年に起きた西南戦争の記録が記されています。
日記を分析した今村直樹准教授によると、熊本城をめぐる攻防戦が長期化する中、西郷軍の背後に構える政府軍「衝背軍」やその軍と合流するため城外に突出した「突囲隊」などが西郷軍と熊本市の砂取橋周辺で交戦した様子などが記されていて、貴重な発見だということです。
一方で、日記には「砂取絞蝋所」の関係者らが、ご神体を抱えて避難したり、突囲隊が自分たちの進路を示すため、御茶屋「酔月亭」に火を放ったりし、関係のない地域や民衆が巻き込まれていく様子も記録されていました。
今村准教授は「突如として混乱状況に置かれ、一日も早い終結を求めた先人たちの姿を想起してほしい」としています。