
2016年に起きた熊本地震から10年。最大震度7の激しい揺れが襲った熊本県益城町をはじめ、多くの家屋が倒壊し、平穏な日常を奪いました。
情報が錯綜し、余震が続く中、倒壊した家屋から生後8カ月の女児が奇跡的に救出されました。極限の現場での救出活動、未来へつなぐ教訓とは――
倒壊家屋の現場へ「ただ事ではない」
2016年4月14日午後9時26分。
「ドーンと下から突き上げ、次に横にゆさぶられる激しい揺れに襲われました」

当時、熊本市東消防署の特別救助小隊長だった古田祐一さんは、自宅で地震に遭遇しました。東日本大震災の際に、緊急消防援助隊として出動した経験から、震度5弱を上回るものだと直感したといいます。
同じく、特別救助小隊長で、その日非番だった小森博文さんも強い揺れを感じ、東区にある東消防署へ駆けつけました。
「東署に向かうにつれて、歩道に避難されている市民の数がだんだん増えてきて。こっちの方がひどいなと実感した」と小森さん。
東消防署に自主参集した職員らで次々と臨時隊を編成。古田さんと小森さんも4人で臨時隊を組み、応援要請が入っていた益城町へと向かいました。
益城町に入ると、想像を絶する光景が続いていました。道路脇の家は倒壊し、電柱は倒れ、行く先々に救助を求める住民が待っていました。
「東に行けば行くほど倒壊家屋が目立ってきて、ただ事ではないなというのが、率直な気持ちでした」と古田さんは振り返ります。
最初に到着したのは、男性が擁壁の下敷きになった現場。生存が確認できない、いわゆる社会死の状態で「まだ生存されている現場がいくつかあるんで、そちらに向かいます」と、小森さんたちはその場を離れるしかありませんでした。救出をせず、その場を離れたのは初めてだったといいます。

倒壊したアパートや住宅で救助活動を続ける中、赤ちゃんが生き埋めになっている現場で、重機での捜索が検討されているという情報が入ってきました。
午前2時すぎ、現地へ向かうと、部下の消防隊員や県警機動隊など40人ほどが活動していました。現場は木造2階建ての家屋が倒壊し、1階部分が完全につぶれていたといいます。
度重なる余震で段階的に崩落し、中に入るのは危険な状態。まさに、重機を投入するかどうかの判断を迫られているタイミングでした。
「重機の場合は上から剝ぐので、要救助者の安全は確保されない、安否はわからない」
「発災から3時間程度しか経っていない段階では、重機ではなく人の手で検索し、生存を確認した方がいいのではないか」
その日、いくつかの現場を経験し、中に入るのが一番の近道だと感じていた2人。現場を指揮する大隊長に「部下は入れず、両隊長で進入するから」と説得を重ね、進入の許可を得ました。
高さ50cmの隙間から中へ
救助の対象は、言葉でのやりとりができない生後8カ月の赤ちゃん。唯一の手がかりは、現場にいた母親からの情報でした。
「寝室で寝ていて、周囲に黄色いキャラクターの毛布や水色の布団、青い毛布などがある」

高さ50cm、幅40cmほどの隙間から、ほふく前進で倒壊家屋の中へ進入。5分ごとに出て、内部の状況を伝え、赤ちゃんの居場所を特定していきます。
古田さんが3mほど進んだところで、毛布を発見。3回目の進入で、6mほどのところまで進むと、大きな梁に行く手を阻まれました。梁と地面の隙間は、わずか40cm。
「絶対、この奥か、梁の真下に赤ちゃんがいるような配置だったんです」
今度は、屋根の上から穴を開け、真下に掘り進む方法に切り替えました。内部で確認した梁の位置から狙いを定め、瓦を剥がしてチェーンソーで屋根材を切り、瓦礫をひたすらかき出す…。手がパンパンになりながら、交代で掘り進めていると、古田さんが、ある音を耳にしました。
「私がちょうど入ったときに、笑い声が耳に入ってですね」
「古田は私の方向を見て、『今、なんか笑い声聞こえませんでしたか』って。いや、この現場で笑う人はおらんだろうって思ったんですけど、それが赤ちゃんの笑い声だったのかなって」と小森さんも振り返ります。
緊迫した現場に響いた声を頼りに、古田さんは手を伸ばし、瓦礫の隙間から赤ちゃんを引きずり出しました。
「家には家族を置いてきたので、自分の子どもと重ねる形で、本当よかったな、と」
「古田が手渡しであげてきたときには、赤ちゃんはニコニコしてて。かすり傷一つなくて、本当ほっとして」
奇跡的な救出。ニコニコしている赤ちゃんに、現場にいた隊員ら皆が安堵し、喜び合ったといいます。
阪神淡路から熊本、そして未来につなぐ
「資機材ありきで訓練したら、大規模災害ではお手上げ状態になる」
様々な現場を経験していた小森さん。日頃から、訓練は繰り返しているものの、実際は大きな違いがあるといいます。
「若い頃読んだ阪神淡路大震災の救助隊員の手記に『日頃からある資機材を使って救出しなければならなかった』とあって、それが熊本地震でもかなり役に立った」
当時、臨時隊として駆け付けた小森さんたちが持っていたのは、バールとロープくらい。古田さんも「一般社会にあるものを資機材の代用として使えるように。車のジャッキを使うとか、併用して活動した」と話します。

専用の資機材がなくても、一般の物で代用する。2人とも、それを強く実感し、若い消防隊員たちには、日頃から応用力を高めるよう指導しているそうです。
熊本地震から10年。あの日の記憶と教訓を未来へつなぐため、伝えていきたいこととは――
「助けを求めている人をいち早く救出するというのは大前提で、自分たちがそこで命を落としたりしてはいけないので、自分たちは生きて帰る、そして早く助けて家族のもとに返す」(小森さん)
「個々の力を上げる。消防職員でも一般の方でも『もしも、こういう災害が来たら』と、常に頭の片隅に置いて、『自分だったらこうする』と考えると、大きな事故やけがにはつながらないのかなと思います」(古田さん)

熊本市消防局では「平成28年熊本地震 活動記録誌」として、古田さんや小森さんの手記をはじめ、救助隊員たちの活動の記録、指令管制室の対応状況、他県からの緊急消防援助隊の手記などをまとめ、ホームページで公開しています。













